死刑制度についての雑感 | 橘 白扇 のひとりごと

死刑制度についての雑感

死刑が執行されると新聞等のマスコミは批判的な記事を書くことがなかば慣習

と化している。

死刑判決が言い渡された場合に被害者側のインタビューを掲載するときには、

でも死刑は良くないと言った旨の記事を書く事は無い。首尾一貫しておらず、

死刑制度をどう捉えているのか、根源にふれる議論をしていないように思われる。

 刑罰は国民の委託により国家が独占しているものであり、何を犯罪とし、

どんな刑罰を科すのかは、国民の代表たる国会が審議、制定した刑罰法規に

よるものである。

 EUをはじめ死刑を廃止、あるいはその執行を停止している国は多いが、

その執行を停止するかいなかも優れて立法府の専権事項である。

国会において刑法を改正し死刑を廃止するか、刑事訴訟法を改正し死刑の

執行に関する条項を改正するのが筋である。

法務大臣が自己の信条により独断で執行を停止することば刑事訴訟法を犯す

行為である。現下の刑事訴訟法は判決確定の日より六カ月以内の死刑執行を

命じている。

再審請求や恩赦の請求が現になされているものを除き、速やかな執行を要求

しているのである。

法務大臣が自国の法を守らないで、いったい誰に法を守れと言えるのか。

 死刑を存続させるか廃止するかは立法の問題であり、いろいろな観点から

議論される必要がある。

たとえば、死刑につぐ思い刑罰とのバランス、世間の生活水準とのバランス、

数えればきりがないほどである。

 一例をあげておくと、死刑廃止にともない完全終身刑を導入する場合の

経済的側面の問題がある。

収容のための施設が当然必要になるがその建設費は、刑務官の増員の要否と

その人件費は、被収容者の衣食住、医療等の経費は、など考えれば膨大な

資金が必要となる。

一般社会が不況等で生活に瀕し、自殺や餓死する国民がもし存在するような

社会では、刑務所の中で生存の保証をえられることの意味が問われなければ

ならなくなる。

 軽々に死刑制度を議論して欲しくは無い。