母が精神科病棟へ医療保護入院した2日後、初めて面会に行って来ました。






入院した日、3週間ぶりに会った母はすっかり変わり果てていました。頬はこけて、目は吊り上がり、顔には大きなカサブタ傷。落ち着きなく常にソワソワ、不穏と疑心に支配され、時には喧々とした口調で周りの人に詰め寄る姿にショックを受けました。






それを踏まえての面会。母はどうなっただろうか?少しは落ち着いているだろうか?緊張しながら病棟のインターホンを鳴らしました。






中に入ると、中央のリビングで看護師さんに支えられながら立ち上がっていた母。面会のために部屋に入って来るなり、顔をクシャクシャにして泣き出しました。勿論私も大泣き。






母は私を見て『どこへ行ってたの?探してたのに…』と言ってくれたので、私を思い出してくれたのかと有頂天になりました。でも、それはすぐに消滅したけれど…。






 いざ向き合って座っても、母は手で顔を隠しポロポロと泣いてばかり。ようやく話し始めたと思ったら、私の事をやはり娘とは認識していなくて。他人行儀な丁寧語で『つらいです。私はどうすれば良いですか?』と訴えて来ます。






<母が話していた事>

3人の娘がいる/長女が会いに来たが仕事が忙しいとすぐに帰った→多分ウクライナにいる/家をリフォーム中/ハガキが届いた or 書いた






上記をぐるぐる繰り返し話ながら、とにかくずっと涙と鼻水を流している状態。項垂れて顔を見せてくれません。“ママ、顔を見せて” と喉元まで出かかったけど、母にとって目の前にいる私は赤の他人(設定)。突然 “ママ” と呼ばれたら混乱してしまうかな?と思い、母の名前 “Y子さん” と呼び続けました。






途中、項垂れた顔を上げた母は、私の顔を見て再び『どこへ行ってたの?探してたのに…』と言って、より一層涙を流す事があったので、見覚えはあると思ってくれてるのかな?でもまたすぐに項垂れて、私には娘が3人います。と、元に戻るけど…。






私は母の背中をさすったり、膝をさすったり、とにかく母に触れていました。痩せこけて骨ばった母が不憫でたまらなかった。






そんなこんなで面会時間15分はオーバーして、30分くらいずっと個室で話していました。(規定では15分だけど、看護師さんも暗黙で時間が過ぎても催促しない)。






母が『とにかくここを出ましょう』と切り出したので、母の腕を取り、部屋からリビングのソファーへと移動。Y子さん、また会いに来ますね。と言って、看護師さんに母を託して病棟を出る事にしました。






母は昔から外出好きだった。これまで居たショートステイの閉塞感が嫌だったのだろう。今の病院も外出することは出来ない。母には申し訳ないけれど、もう少し気持ちが落ち着いて暮らせるようになるまで我慢してもらうしかない。ごめんね、ママ。






病棟を出る際に、看護師さんに明日も来て良いですか?と確認し、翌日の面会を取り付けて後にしました。











姉には、母の様子が落ち着くまで面会は出来ないと説明しています。今の母に会うと、姉はショックを受けるに違いないから。この日も、近所の知り合いの所へ行って来ると嘘をついて出て来たので、母との面会で真っ赤になった目を前髪で隠して帰りました。






母を悲しみや苦しみから楽にしてあげる事ができず、姉にも嘘をついている。本当に私は救いようがない…。