その後ぬるいタクシー会社でナイトでやってる時にこのブログ始めたんですよね
ようやく生活を立て直せる道が見えてきたなと
ブログに関しては金もないし暇潰しになっていたのでそれはよかったんじゃないでしょうか
元カノとの思い出を気づいたら長々と書いていて書き終えたら孤独感とさみしさで鬱っぽくなったりしたこともありましたね
反すうですね 反省なんかすることないのに(もう遅い)そういうことするからうつになる
精神科の受診に関してはこのぬるいタクシー会社時代に既に考えていたというか行く寸前くらいまでいきましたけど見送りました(うつもそうだし気分が悪くなって)
まだ病院に行かなくてもやれるというよりかは精神科通い始まっちゃったらそういう風になっちゃうよなーみたいなのはあったんですよね(境界線あたりにいたみたいな)
ぬるいタクシー会社は休むのも無断欠勤で大丈夫だったので病気でもやれたというか
精神科の受診が遅れたということにはなってしまったんでしょうけど
まだ気力も少しだけ残ってたのかもしれません
精神科に行ったら負けじゃないけど自分の日常が変わってしまうのかなっていう不安はありましたね
そのぬるいタクシー会社ですが
歩率が50%くらいしかないし有給使うとなぜか給料が減るのでwww(都内じゃないのもあるな)
キリのいいところで退職して どうせなら55%くらいくれて有給ちゃんと付く会社に移籍しようと思いました(ナイトも疲れてきたし)
せっかくなんでその前に失業保険っていうの使ってみようと思って(自身初失業保険)
自己都合退職なので当時全部で4ヶ月くらい待機から給付制限期間~実際の支給までかかりましたが
私の地元のハローワークはあんまりうるさくないというか融通がきくほうで給付制限期間中のアルバイトとかは条件関係なく全然OKみたいな感じだったので適当なところで働いたり辞めたりしながら給付制限期間を終わらせました
金なんか離職時に20万くらいしかなかったんですけどなんとかなりましたね
給付始まるとまぁ90日分しかなかったわけですが
ほぼ何もしてないのに金が入ってくるっていいなーって思いましたね😁
それでその後というか現在みたいな方向性になったということでしょうね🤔
失業保険消化してふつうのタクシー会社に就職して1年半くらいは病気も抑え込んでいたんですが ある日ついに起き上がれなくなって精神科受診することになりました
35歳くらいの時でしたかね よくそこまでやったというかもったよなって
時は流れて今では障害年金も「取れる」ようになりましたのであの当時より色んな意味で安定はしていますが
もう普通というか健常者の世界には戻れないんだなと思うと複雑ではありますが
精神科通いですごい若い人とか見ますけど
う~ん正直もう少し頑張れよみたいなことは思いますね 私ですら35歳くらいまでは耐えたんだから 私も病気に負けたうちの一人なわけですが
親同伴で来てるのとか見ると逆に羨ましくもありますが・・・
いやなんかいいなー大切にされてみたいな
病院に付いてきてくれてるくらいだから理解もあるんでしょうから
私もそうですが精神の病に負けたわけですからもう治りませんので精神病と共存していくしかないんですよね
新しい友達は欲しいですよ
ただ部屋の中に飲みきれない薬が散乱してるというかそれをただ片付けて隠せばいいってもんじゃないし
配慮は求めないけど理解は多少してくれないと友人としてのお付き合いすら難しいというか
ほんとに軽いというか外で飯食うだけとかなら平気なんでしょうけど せっかく友達になるんなら私はもっと仲良くなりたいと思いますね
精神病の人限定の募集とかも例えばジモティーとかで見ますけど
うーん会うのはいいけど正直付きまとわれたりしても困るしみたいな(仲が拗れたりとか)
結構精神病の人って自分に都合よく一方通行なところあるじゃないですか
私もそういう感じなのかもしれませんけど
それに関しては主治医に相談してみようかなとも思っています
まーそんな感じですね
仕事も完走がだいぶ近くなってきてます