よく「昔に戻りたい」
「勉強しておけばよかった」
などと聞くことがある
実際、私も思ったことがあるし
それは、万人が一度は思ったことがあるようなことなのかもしれない
では、具体的にいつ頃に戻ればいいのだろうか??
底辺県立高校に通っていた私、もちろん本人の問題が一番であるが
やる気出したとして、お世辞にも勉強に集中できる環境ではなかった(家庭環境もふまえて)
また、今思えば親友や尊敬できると崇めていた人物でさえ
今の自分にとっては、何も意味はなく、ようは無駄な時間を過ごしてしまった
よって、高校の時に戻っても遅い!
もはや手遅れと言えるだろう・・・
では、中学の時に戻ったらどうだろう?
やはり、結論で言えば手遅れであろう
何故かと言えば、中学くらいになると、人はそれなりに棲みわけるモノではないだろうか?
勉強のできる人、できない人
学校では仲良くても、外では遊ばなかったり
会社の人間関係に少し似てくると思う
趣味があったり、いい奴だから一緒にいたりとか
そういう場合もなくはないだろうが、やはりある程度棲み分けはしていると思う
言葉に表すのが難しいが、何となく私はそういった印象を受けた
以上のことを踏まえると、やはり小学生の頃まで戻らなくてはならないと私は思う
小学生の頃、私の成績は並のちょい上くらいだった
通知表で表すと(三段階)
国語2
算数2
理科3
社会3
体育2
音楽2
みたいな感じだった
つるむ友達もちがった、その子たちは私立中学に進学して行った
成績はたぶん
国語3
算数3
理科3
社会3
体育2
音楽3
みたいな感じだろう
並み程度の私と、また次元が違うのであるが、なぜ私なんかと仲良くしてくれたのだろうか?
それは、趣味に他ならないだろう
当時クラスでは「将棋」が流行っていた
本格的な将棋盤を持ってくる人などもいて、先生もそれを容認していた
将棋はとてもおもしろかった
ファミコン世代の我々であるから、本将棋?(って言うんだっけ?詰め将棋?)
のRPG的要素?(取った駒を使えるとか、成ると強くなったり、飛車、角などの能力値の高い駒の存在など)
が、上手くハマったのかもしれない
6年次の担任は、寛大な人だったので
テストが終わり次第、自由時間とかがよくあった
理科のテストなどは簡単なので、10分もあれば終わる(それでいて100点だ(^o^))
先生「今日の授業は自由時間にします」
クラスから歓声が上がった
早速うちらは将棋を楽しんだ
友達「盆暗くん強いね」
私は将棋が強いほうだった
しばらく日時がたつと、皆それなりに上達し時間がかかるようになってきた
将棋の奥深さから言うと、時間がものすごくかかるものであるだろうが
そこは、限られた環境で時間の問題というのもある
おおよそ30分を目安に、私は頭のいい子たちにも負けずに頑張った
友達「つまんねえ!」
勉強のできない、素行の悪い友達である
将棋が流行り出した頃は飛びついたものの、やがてレベルが上がるとついていけず、勝負を放り出した
自分が不利になると、あからさまに嫌な顔をし不機嫌になり周りに当たり散らす(甘やかされて育った?)
私「まぁまぁ、はい王手飛車取り」
友達「・・・」
いつしか、将棋を打つのも棲み分けというか、私は頭のいい子たちとしか打たなくなった
そっちのほうが水が合ったから・・・
だが、頭のいい子たちと私にはかなりのハンデがあった
将棋は互角であったが・・・
頭のいい子たちは、私立中学に進学するために日夜猛勉強(塾2つ掛け持ちプラス習い事で週6)
私も塾に通っていたが、スケールが違う
私が将棋に、100の力で望むのに対し、その子たちは多忙であるため
せいぜい30とかで、やっていたのだろう
よって、互角ということは私の完全なる敗北を意味する
努力もそうだが、頭の質が違った(^^;)
他にも、よくゲームの話をした(時代はSFC)
頭のいい子たちも、ゲームをやっていた(時間は限られていただろうが)
ドラクエやFFは、1ヶ月もすれば終わってしまう
二週目やり込むとかしても、3ヶ月も持たない
そこで、うちらがハマったのは歴史シュミレーションゲームだった・・・