先週友人に、この平井堅の「even if」を教えてもらった。以下の動画を見て、びっくり!確かに、いい曲だ。だけどステージの上で、ここまで本気で泣く人は初めて見た(笑)。

 平井堅さんはおそらく、実体験から曲を作る人なのだろう。だから、この「even if」に棲んでいる人がいる。この曲を歌うたび、その人は何度も彼の前に現れる。

 

 さて平和な日々を過ごしているとき、人はプラトンのことを考えたりしない。恋人や家族や友達や会社の悪口を言っているとき、それは平穏なときである。だが「even if」のように、恋愛の地獄に堕ちたとき。人は常識よりも、もっと優れた、秘密の完璧な答えを求める。電車の中吊り広告を見て、サンマーク出版の本を買うことになる。

サンマーク出版の本より、きっと私の話の方が面白いと思う。なので、プラトンの代表作「饗宴」の解説をしたい。

プラトンの「饗宴」は、プラトニック・ラブが書かれた本である。だが実は、これは間違いだ。世界中の人々が、プラトンの「饗宴」を誤解している。

 この本に書かれていることは、大きく三つある。

① まず、同性愛(とくに、男性同性愛)の性愛を賛美している。性も、である。

② この本の影の主役は、巫女ディオティマである。彼女が、主人公ソクラテスに恋愛の全てを教える。

③ 私たちが知っている、草食的「プラトニックな恋愛」は書かれていない。その代わりに、かなりトリッキーな恋愛論が書かれている。

①②③とも、一般の方にはびっくりだろう。①②は後に譲るとして、③だけ断っておきたい。私たちの知るプラトニック・ラブは、キリスト教が作ったのだ。禁欲的な信者たちが、プラトンからエロス(性愛)的要素を抜き取ったのである。

キリスト教信者のためにフォローすると、この方法は一理ある。なぜなら、恋愛の欲望はあまりにエゴイスティックだからだ。利己主義の一番極端な面が現れ、恋愛で争いが起こる。さらに思い詰めれば、殺人まで行き着く。恋愛は、とても怖い。「even if」は、その嫉妬、苦しみ、絶望、虚無、怒りをよく表現できていると思う。

「饗宴」とは、実は飲み会である。奴隷に働かせて、ギリシャ人は芸術や自然科学や政治や哲学を楽しんだ。この本では、金持ちの男たちが集まって恋愛賛美を酒の肴にしている。彼らが恋愛の対象にしているのは、美少年である。今で言うと、ジャニーズみたいなものだ。

 さて酔っ払いの一人(戯曲家アリストパネス)が、アンドロギュヌス説を主張する。これは有名だし、「人間の本能」について考えさられる説である。なので、ご紹介する。

「昔人間は、男男、女女、男女(=アンドロギュヌス)の三種類だった。あまりに力をつけたため、彼らは神の怒りを買った。人間は、真っ二つに裂かれてしまった。以来人間は、かつての自分の半身を求めるようになった。男男だったものは、男を求める。女女は、女を求める。男女は、男は女、女は男を求める」

さて最後に、ソクラテスの長い演説がある。プラトンの哲学書は、全て師匠ソクラテスを主人公にした物語(脚本のようなもの)の形式を取っている。

さてソクラテスは、巫女ディオティマに教えてもらった話を披露する。箇条書きにすると、以下の通りである。

 

①−1 恋愛は、人間が抱く欲望の本質を表していること。

①–2 人々が抱く欲望の共通した特徴とは、「快い」よりも「良いこと→幸せ」だ。

①−3 「美しいもの」は、その美しさのうちに「良いこと」を含んでいる。

②–1 恋愛とは、美しいもの、良いことを『永遠に』手に入れる欲望である。

②–2 恋愛とは、肉体的にも精神的にも美しいものの中で『出産すること』である。

 

 このプラトンの話を、一発で理解できる人はまずいないだろう。ちなみに私は、20歳のときに「饗宴」を読んだ。でもプラトンの言葉がわかったのは、多分四十代になってからだと思う。二十年かかったわけだ。

 ここで重要なのは、プラトンが恋愛と「良いこと」を結びつけている点にある。

 成功、勝利、裕福、才能、知能、幸福など、良いことはこの世に色々あるだろう。だがプラトンは、その良いことの「共通点は何だ?」と問う。それは、『永遠に』手に入れたいものということだ。

 さらにすごい言葉が、「肉体的にも精神的にも美しいものの中で『出産すること』」だろう。今までの私の人生でも、こんな無茶苦茶なセリフは他に記憶がない。だが実はコレ、誰でも経験することなのだ。

 

 先に、「饗宴」の内容を全部書いておきたい。巫女ディオティマの話の続き。

① 人は、ある年齢になると「魂の中で身ごもる」。すると、『自分の

魂』を出産してくれる人を探す。

② だが醜い人では、出産できない。だから人は、美しい肉体と美しい魂を持つ若者(→ここでは、美少年・美青年)を求める。これが、人が美しい人を求める理由だ。

③–1 人はまず、美しい肉体を求める。美しい言論(→恋愛を語る言葉→歌、小説、映画、テレビ、劇・・・)を求める。すると、恋の共通性質がわかるようになる。どの美しいものも、兄弟関係にあることを理解し、全ての美しい肉体に恋し、全ての美しい言論に恋をするべきだ。(→このあたりが、のちにプラトニック・ラブと呼ばれることになる)

③–2 肉体よりも魂の美しさを貴重なものとみなし、美しくなくとも魂の美しいものを恋するべきだ。

④ やがて人は、『驚嘆すべきある美』を獲得する。これが、美のイデア(→美しさの正体、原因)である。

 

 まず、『出産すること』を解説したい。

 誰かを好きになって、運よく相手も自分を受け入れてくれたとき。人は幸せの絶頂に到達するだろう。恋人といつも一緒に過ごし、愛の言葉を交わし、相手の肉体も味わうだろう。だがこれは、物事の表面でしかない。

大好きな人は、私たちに絶大な影響を与える。恋人の言葉、好きなもの、好きなこと、考え方(価値観)、過去と未来、・・・。全てから影響を受ける。そしていつの間にか、私たちはこれまでの自分と変わってしまう。大好きな人のために、「生まれ変わってしまう」。

 このことは、相手も同様だ。私たちが相手に、絶大な影響を与えてしまう。つまり二人は、理想的な恋愛をすると、「生まれ変わってしまう」のだ。これが、プラトンの言う『出産すること』である。赤子として生まれるのは、実は私たち自身なのである。

 次に、プラトニック・ラブについて。

① 性→魂→良いこと(善)→性の否定

プラトンは、このように語っている気もする。だが、

② ある美しい人(性愛)→美の意味→美しいこと(恋愛、幸福、成功、勝利、裕福、才能、知能、・・・)→ある美しい人(性愛)・・・

 このようにループすることが、現実世界だろう。私たちは、延々と「美しい」の意味を求め、見つけ、刷新するのである。

さらに重要なことがある。ある美しい人に、私たちは恋をする。プラトンは、「美しい肉体(容貌)と美しい魂」を求めると言っている。だがここにも、トラップが仕掛けてある。よく考えてみると、

① この人は、肉体(容貌)が美しいから、魂も美しく見える。

② この人は、魂が美しいから、肉体(容貌)も美しく見える。

このどちらが恋の理由か、私たちはよくわからないのだ。私たちは、肉体(容貌)を美しくするために、莫大な努力をする。だが相手が私たちを好きになるのは、何が理由なのだろう?肉体(容貌)?魂?

 アリストパネスのアンドロギュヌス説は、所詮「恋愛は、本能だ」と言っているに過ぎない。だが本能と言ったら、ここで行き止まりになってしまう。そうではない、とプラトンは言いたい。

 プラトンは、「醜い人では、出産できない」と言う。これは、肉体(容貌)の話だけだろうか?魂が醜い人に、私たちは恋をしない。記憶を辿れば、周囲を見回せば「魂が醜い人」がたくさん見つかると思う。私たちは彼らに、恋をしない。何も『生まれない』からだ。

 

 また、誰も読まない文章を書いてしまった。

 だけど、私がこんなことをするのは一応理由がある。それは、「常識は間違っているかもしれない」と言うことだ。

世界中の人が、プラトンを誤解している。プラトニック・ラブを勧める人だと思っている。それは、間違いだ。

 

 

 

哲学の歴史を眺めても、こんなに真面目に恋愛を語る哲学者はいない。皆無である。