はなまるノート♪南さつま市のくもん教室

はなまるノート♪南さつま市のくもん教室

公文、学校、子育て、日々の学びetc
頭の整理のためにも、綴り方の練習練習^ ^

 コロナ禍の影響で、教室にうまく通えない、指導をうけることができない生徒が増えた。通常の時期でも、新小学一年生の4月〜5月は不安定。親も子も、教室休もうか教科を減らそうか、いっそやめようか?と考える。そんな波が、6月になってやってきた。プールも始まった。うまく子どもの生活リズムにくもんの学習を取り込めない家庭のよくある悩ましい波。

 

 そこで手にしたのが、アドラーセレクション「教育困難な子どもたち」アルフレッド・アドラー 岸見一郎訳(アルテ)

 

 アドラーの「教育困難な子どもたち」は、100年も前に著されたにもかかわらず、教育における親子や子どもの陥る困難な場面は現代となんら変わらない。普遍的、根源的な部分に問題を見出しているからであろう。共働きであるとか、お受験であるとか、ましてやコロナで大変だから、とかまったく関係ないところで、教育困難な状況と解決への道筋を示してくれる。

 

 アドラーが警鐘を鳴らす『甘やかされた子ども』と『憎まれた子ども』、この両極の子どものうちで『憎まれた子ども』にもたらされるであろう様々な困難さはなんとなく想像できる。しかし『甘やかされた子ども』の方は、他の書籍を読んでもいまいちわからないモヤモヤしたところがあった。この本では、『甘やかされた子ども』の母親は「子どもの関心を全て自分のものとして受け止め、子どもを安楽な状況におき」、子どもの母親への「従属的な態度は無意識的なものにな」り、子どもは人生に対する準備をする訓練の機会が与えられない、そのため、不完全な成長にとどまってしまう、とされている。

 「子どもの関心を全て自分のものとして受け止め、子どもを安楽な状況にお」く母親が悪い親であると言っている。そうでない母親はいるのか?と思ってしまうが、そんな母たちが一番悩み苦しむものであることを、くもんの指導者になってから、経験的に知ることになった。

 

 くもんに我が子を連れてくる親御さんたちは、ほぼほぼ全員「子どもの関心を全て自分のものとして受け止め、子どもを安楽な状況にお」こうとしている。その一環としてくもんの学習をさせようとしている。「うちのこ勉強好きそう」「数字に興味を持ってるみたいで」「学校でいい成績をとってもらいたくて」「勉強ができなくて苦しんでいるので」「何か一つでも得意なことを見つけて欲しい」「将来選択肢が広がるように」「子どもの可能性を広げたい」。 「こうなってもらいたい」のオンパレード。そうでないと、生徒は集まらない。またそこに教室の存在理由はある。しかしアドラーは、その解決に、親と同じ姿勢でいてはならないとしている。指導者である自分に保護者が求めているのは、親と同じ姿勢である、が、それでは、子どもを幸せな人生へと導けない。

 

 ある保護者は自分の子どもに「先生のそばに座るのよ、先生にみてもらえるようにね」と伝えていた。「先生のことば」こそお金をかけているサービスなのだから、十分元を取ってこい、という意味か?と思った。ある保護者は、「6000円の会費払ってたった20枚しかしないのだったら市販の問題集を買った方がまし」と言われ、やめていかれた。コロナ禍で三ミツを避けるため、教室での学習時間が減るなか、「たったの30分しかみてもらえないのだったら…」と継続に迷う保護者。保護者の求めるものは「(プリントの)量」「時間」「質(=先生?スタッフ?)」が子どもに”与えられること”。教室を評価する際に、これらの指標でしか判断できないのも事実。こんな理由でやめられては敵わん、と言っているわけではない。これらのことを担保することが良い生徒指導であるのか?と考えるとそうではない気がしてくるのである。

 

 教室に『甘やかされた子ども』がやってくることは覚悟しておかねばならない。というか、そういう子どもの親だからこそ、教室に通う選択をしてくれるのである。そんな保護者をアドラーみたいに強く否定することはできない。かつての自分だってそうだったし。でも、教室の指導者の自分までその親と同じになってはならない。ちょっと横道に逸れるが「親のニーズにいかに応えるか?」が、教育の良し悪しに取り沙汰されるのはどうよ?甘やかす親を増長させ、甘やかされた子どもを教室までがさらに甘やかすことを助長してはいまいか?教室が、子どもにとって安寧なだけの場所であってはならない。人生に対する準備をする訓練の機会でなくてはならない。学びを通して、いかに方法を得るか、いかに上達させるか、いかに活かすか、を選択しうる子どもにしていかなければならない。そのための方法は、親のニーズに合わないこともあるかもしれない。プリント一枚かもしれない、日に二、三分の勉強かもしれない、先生もスタッフもいない孤独な試練になるかもしれない。そんな、甘えとは無縁な世界から、自分を鍛えていける自立した個性が生まれてくるのだと思う。

 

 保護者が本当に願うのは

「子どもに幸せになってもらいたい」ということを肝に銘じる。