先日、とあるカフェで久々にハンバーガーを食べました。そのカフェ付近には小さなハンバーガー専門店もあったのですが、そのカフェで人と会う約束をしたので、ハンバーガー好きの私はメニューにハンバーガーセットを見つけ迷わずチャレンジ。結果、バンズは美味しかったものの残念ながらトータル的に私好みでは無かったのですが、何よりも会食した相手との会話がとても楽しかったので、味覚満足度のマイナスは帳消しww。会食に於いて、大切なのは味よりも会話。味はそこそこだとしても“誰と食べるか““何を話すか”によってその時間の満足度は変わるのです。偶々ハンバーガーは私好みのタイプでは無かったというだけで決して不味かった訳ではありません。でも不味かったなら不味かったで話のネタにもなるので、それはそれで面白いんですけどね。


人其々に食の好みも千差万別ですが『友人』の定義、これも人其々。自分にとってどんな関係を『友』と位置付けるのか。こちらが友人だと思っていても相手はそう思っていなかったり、逆もまた然り。単なる知人とも違うし、友人の中でも親友・心友の定義も人其々なのでしょう。同級生は流石に『単なる知人』とは決して言えないのですが、かと言って『友』と呼び合える関係性かと言われれば、何十年も会ってなかったりする場合もあるので、私がいくらオープンな人間であっても相手は取り繕っている可能性もある為、真偽の程は分かりません。ハンバーガーを食べた時にご一緒した方から『友達になって下さい』と言われました。会話も楽しく私自身がとてもラクに居られる方なので『こちらこそ宜しくお願いします』とお答え致しました。然し、とても嬉しく光栄に思ったのと同時に、お互いの定義が違う場合にはまたどちらかが悲しい思いをするかも知れないという恐れも感じてしまいました。年上の方なので私も未だ全て曝け出せておりませんが、これから末永くお互いに良き友人としてお付き合い出来るといいなぁと願いつつ。


前職当時の私は、日々沢山のお客様を笑顔でもてなし、幾つかの経営者達の会で経営の先輩方と誰かしらに毎週会い、交換した名刺は何百枚。いつの間にかFB繋がりも千人を超え、毎日何十人ものお客様からのお問い合わせや相談メール等の返信に昼夜追われる日々を送っておりました。自身の事は後回し、とにかく『利他主義』に徹し、相手が何を必要としているのか、相手にとってプラスになる為には私が何をすればいいのか、ひたすらそればかりを考えておりました。身内からの反発を受けた時もお客様の意向に添いたいが為に、裏で土下座をした事もありました。何よりお客様第一。そして、沢山の方と心の交流を続ける事こそが店の発展に繋がるものと頑なに信じておりました。その中で知り合えた数人の方々とはこの先も長く付き合える友人になれたとも正直思っておりました。
が、残念ながらそれは自分勝手な思い込みだったのだと、後になって気付かされました。自分が良かれと思う事が必ずしも相手にとってそうではなかったのだろうと、今はそう思えます。私が正直な故に相手が傷付く様な事も正直に伝えてしまって、結果傷付けてしまった事もきっとあったのでしょう。使命感や正義感で突き進んだり周りから偽善者と噂されたり、それでも信頼する人や応援してくれる人が周りにいると信じていたから、真摯に頑張れた6年間でした。が、結果的に信頼していた人から酷い仕打ちを受け、自らを正当化する為であろう様々な嘘を陰で噂され、その嘘を鵜呑みにした人達は一斉に私から距離を置きました。私の口から直接真実を伝えた方でさえも利の無くなった私にはもう用無し。私が(一方的に)友人だと思っていた人達を含め、沢山の方との交流が途絶えました。これこそが商売上の利害関係だったのだと、馬鹿な私は気付くのに時間がかかりました。それが私の現実、でした。 1人傷付き、ホトホト人と関わるのに疲弊し、そこで沢山の事を感じ、学び、結果的に私は“生きる選択“を致しました。そして暫くの間ただ“待つ事“に徹してみる事にしました。逃げも隠れもせず誰をブロックする事もなく、住所も連絡先も一切変えず、酷い仕打ちを受けた相手に対して攻撃もせず自ら訴訟を起こす事もなく、ただただ全てがどう動くのか傍観し、待ってみる事にしました。流れに添って進んでいれば、生きる為に必要なものは自然と目の前に現れる、、、ずっとそんな感じでこれまで生きて参りました。これまで起きた数多の艱難辛苦も、私の人生に於いて必要だったから経験出来た事。知識や想像だけでなく実際に経験したからこそ、そこに発見が有り学びが有りました。だからこそ、流れに身を任せて待ってみたのです。あれから数年。利の無くなった私を未だに気にかけて下さっている方から時折連絡を頂いたり、久々にお会い出来たり。良縁だけが残った様な気がして、有り難いなぁとつくづく思うのです。


世の中には様々な人がいらっしゃいます。人其々に様々な思考や嗜好で生きていらっしゃいます。故に価値観や倫理観の合わない方も勿論いらっしゃいます。が、生きていく上で、人との交流は避けて通れません。ただ、合わせる合わせない、受け入れる受け入れない、全ては自分次第。そして、選択出来ない関係性、例えば職場などは合わない人も必ず存在致します。が、嫌な事を言われその時は嫌な気分になったり傷付いたりしたとしても、その人のいい所や自分より優れている所を見つけたり一定の距離を保ったりして、気持ちをラクに仕事が出来る様になりました。そして今現在、私生活の人間関係は信頼出来る親族達と、行きつけのお店の方数人と、私の事を気にかけて連絡をくれた『友人』のみに限定。お陰で公私共にとてもラクになれました。私の状況を知った上で私に連絡をしてこない人達は、私を必要としない人。その事にも漸く気付きました。だからこそ、今現在の私に連絡を下さる方々こそが、私のこれからの人生にとって大切な人達、私が心から大切にしたい人達だと思えるのです。


先日久々に会った可愛い後輩ちゃんが突然花束をプレゼントしてくれました。久々に会えて嬉しくて、行きつけのバー閉店時まで長話。彼女は年下だけど、気兼ねなく全て話せる私の大切な『友人』です。腹割って何でも話せる相手、それが私の友人の定義かも知れません。私を“兄ちゃん“と呼んで慕ってくれる彼女の幸せを、私はいつの時も心から願っているのです。これからも仲良くして下さいね。Aちゃんラビュー♡