昔から私が憧れているのは、素晴らしい作品を生み出すアーティストの方々。有名でなくても市井の埋もれ木でも私が素晴らしいと感じる、私の琴線に触れる作品を生み出す方々。音楽も勿論なのですが、写真や絵画等の素晴らしい美術作品や文学作品や映画や舞台や演劇等も、市井人の私に感動とエネルギーをくれる、生きる上での大切な栄養分なのです。



例えばこの写真の3枚の作品は、私が20代の時に偶々観覧したアート作品展で出会い、一目惚れしてポストカードを購入して以来、作者不明のまま何十年もずっと部屋に飾っている作品。最近漸く、舛次崇さんという方の作品で2021年1月に既に他界されていらっしゃるのだと知りました。今現在も変わらず部屋に飾っているのですが、私にエネルギーをくれる大切な絵なのです。他にも幾つか作品を残されていらっしゃるそうなので、いつの日か鑑賞させて頂きに行けたらなぁと思っております。

私には人に感動やパワーを与えられる様な『素晴らしい作品』を生み出す才能が無い為、そういう作品を生み出せる人や才能にとても憧れるのです。以前の仕事では様々な企画を考え自ら実行し、沢山のお客様に喜んで頂くという貴重な経験をさせて頂きました。『それも一種の才能』と今だに褒めて下さる方もいらっしゃったりして、褒めて頂ける度に私も全力で頑張って良かったとは勿論思うのですが、何よりそれは『集客』という目線で考えたから出来ただけの事で、接客業としては当然の事。私でなくても誰にでも出来た事なのです。私にはゼロから生み出す才能もカリスマ性も絶対的な歌唱力も無かったから、とにかく『お客様目線』で表も裏も我武者羅に頑張るしかなかっただけでした。だからもし生まれ変われるのなら、来世は『唯一無二の作品を生み出せるアーティスト』になりたいと憧れるのです。





私が『愛媛のドアノー』と(勝手に)思っている写真家randyさんの個展が県美で久々に開催されると伺い、先程仕事帰りに行って参りました。私の大好きなモノクロ写真の世界。写真は瞬間映像を切り取るだけかと思われがちですが、何よりこの切り取る『センス』が非常に非常に難しいのです。私もパシャパシャと携帯で撮りますが、私の写真は芸術でなくあくまでも記録写真。いくら私が携帯を高性能カメラに変えたとしても、randyさんの様には参りません。焼きに関しては私は全くの素人なので、現像の技術の良し悪しなどは全く分からないですし何も語れませんが、音楽にしろ写真にしろ、芸術は何より『センス』が重要。有名無名に関わらず、何よりその作品が私好みかどうか、その作品が私の栄養となるかどうか。私にとってrandyさんの写真は『栄養満点』なのです。構図を切り取るセンス、白と黒の対比、一枚一枚から伝わる音、静寂、匂い、温度、湿度。もう少し見ていたかったのですが、お昼に近付くにつれ来客も増えてきた為、後ろ髪ひかれつつ退散致しました。今回も沢山のパワーを頂き、randyさんに感謝です。有難うございました。


……余談ですが。県美の外では2/11に開催される愛媛マラソンの準備が着々と進んでいたのですが、自転車置き場に着いてふと目を上げると扉の無い簡易WCが綺麗に整列していて、何かこんなに屋外でオープンに整列している男性用便器が面白くて思わず撮ってしまいましたww。勿論、これは芸術作品でなくあくまでも記録写真ですww。当然、扉はこれから付けるのだと思います。


あと、生前仲良くさせて頂いていた大好きだった京子さんの回顧展も漸く今年の夏に松山で開催されるとの事で、今から楽しみにしております。5年前に今の職場に就職し配属された時、偶々私の上司が京子さんの甥子さんだったのも『これも何かのご縁』と見えない力を感じてしまいました。京子さんが残されたこの世に2つとない素晴らしい七宝作品の数々を今一度目に焼き付け、心震えたいと思っております。




先日叔母と観に行った舞台、今日のrandyさんの個展、京子さんの回顧展etc…、2024年も沢山の素晴らしい芸術作品に出会ってパワーを頂きたいと思っております。