こんにちは

あみこ、です。






入院していた父が退院して




お腹にストーマをつけているので


ゆっくりゆったり動きながら





たまに、庭のお手入れや


図書館に行って新聞を読んで来たりして



お昼寝も増えました。








朝、起きると


あゆみ おはよう、と


近くまで 言いに来てくれて





眠る前にも


あゆみ ありがとう、と言ってくれてから


お布団に入ります。








身体を動かして
何かをしてるのが好きだから


動けない事が


お父さんは嫌なんだよ



早く動けるようになるから、と




洗濯物を必ず畳んでくれて
凄いな、と 感じます。








父が退院して
直ぐは


大変だろう、と思う気持ちで居たのに




少ししたら
以前 云われた 


俺が
お前のように
動けなくなったら俺は死ぬ、の
言葉を思い出して
言いようのない苛立ちを感じたりしました。




人に迷惑かけたら
俺は死ぬ。



それは
父の生きる覚悟を言ってるだけなのに


私の中の気にしてる部分に
触れて
私は本当はとても辛かった



自分を責めていたから






それを、
消化できず


父にぶつけたりして
また 自己嫌悪になったり



苦しいな、と思っていました。








( まともに
父の言葉を
くらっちゃいましたが、



父は
私にしてくれた事に対して
ありがとうと
ただ 言って欲しかったようです。




言葉をそのまま
受け取っちゃったけど




傷付かなくてもいいのだ、と
少しずつ知っていきました。 



両親は
ずっと 大事にしてくれてた



それを、知りました。 )








でも、
本当の
私がモヤモヤしていた理由は




今まで以上に頑張る
母を気にして


無理して
身体を動かす父に対して




がんになっても
動かせてごめんね



迷惑かけてごめんね、でした。






父がしてくれていた事を
自分がするようになって



余裕が無くて
イライラしてしまってると
思ってた



けど、違いました。




自分がもっとやれたら
父が休めるのに


お母さんが楽なのに。


自分のせいだ




罪悪感
申し訳なくて



自分が自分を責めてきた事を
やっと 本当に知った





泣きながら

お父さん、ごめんね と



ポロポロ
言葉が出てきた。




あゆみ、泣くな
謝らなくていい、と 言われ



私が苦しかった理由を
私は やっと 本当に知りました。





父がずっと
私にしてきてくれた事を
走馬灯のように思い出していました





父は、


悪友であり
親友 


小さな時から
秘密を守ってくれる


呆れて
腹を立てて

八つ当たりもして

大喧嘩をして


期待して、また 腹を立てて


二人三脚で
生きてくれた



感謝です









家族皆んなが
もう 無理が出来ない状況になって
愚痴も弱音も言えます





全ては良きことのために起こる

必ず
全ては良き事へと変えて行ける



そう、信じています。







父とは
昔から
ふたりで色々話します



そして 今
父と話す時間が増えました。







一日一日を大切に生きたい、と
意識していても



頑張りたいのに
頑張れなくて
満足の行くような活動が
出来ない事もあるね





今が大切な時間と思っていても
家族に素直になれず
後悔してしまうような自分の時もあるんだ





朝起きて
これがしたい、と
心で 思ってるのに
やらないまま 一日が終わってしまう






そんなことを
お茶を飲みながら 


たらたら
たらたら 話して




隠すことが無くなってゆきます。









お陰様で
父はとても健康に恵まれて


病院に
お世話になる事も無くて


生きてきて
動けない、ということはありませんでした。





(  それは
有難い事だったんだな、と
言っていました。   )







(  何かしてあげたいと思ったら
それを 当たり前にやれた



だから 
いまの自分の身体は
もどかしいんだ     )






それでも、いい




家族を大切にしたい。
と思ってる
お父さんは ここにいる






(  私が
不調で動けない時に
いつも 思う事があります




出来る時に、
できる事をやれたら
それでいい




感謝できる時は
それを 伝えられたらいい




素直な自分で話せる時には
素直に話せたらいい



そして、


生身の身体 弱る時もある




色んなことしても
何をしても
どうしても
元気が出ない時もある



仕方が無いと
諦めるしか無いような時もある   



いつかまた 
動ける事もある


そして 

いつも
何とかはなっていく )








身体が万全じゃ無い中
頑張ってる今日を




また 一日生きて 



それは 
素晴らしい時間。






完璧を目指さなくても



良い時間にこだわり過ぎなくても。






自分という存在も
何かから与えられて
大切にしてください、と
渡されたようなものな気がして




本当は いつも
大切にしなくちゃいけなかったな、と
思います。



ぞんざいに扱っていい存在じゃない






5歳の娘が父に優しくて



お出かけの時


玄関から

父の手を繋いでサポートをしてて




自然に産まれた思いやりに

嬉しくなります