こんにちは

あみこ。です







お前、って 云われるのは
好きじゃありません








でも、
母が 言いました。






あゆみのこと
お前って 呼ぶひとの お前には
愛情感じるから
お母さんは 嫌いじゃなかった







耳で聞こえるもの
目で見えるもの、だけで
計れないものがある気がします。






してくれた事に
すべてが 現れてる




大学に入って
出会った人たちは


大学内でも 外でも
私の常識から かけ離れた人が
多かったです







お前は ヘタレだ




ヘタレの何が悪い?





本気で 


ヘタレの
何がいけないんだ?、と


真剣な顔して言われた事があります。








わたしが 問題にしている事を
問題にしない人達に出会った







絶対に 許せない、と思うことをして


私のお腹の中に溜まってる 
怒り、本音を





どばーーーーーーっと 
出させてくれたんじゃないのだろうか…






本当に大切な人たちが
これだけは許せん!!って事して





怒らせてくれた
怒り狂わせてくれた






だって、 あなた
そんな良い人じゃないじゃんか





だから、 辞めなよ
まだ だいじょうぶ、とか
傷ついてない、とか




心の底にあるもの
ちゃんと 出して、





溜まった悲しみを 出して






あーーーーーー、やだった!って
言い終えて 





それから また
自分を生きてゆくんだ







本音も言えないんじゃ
共に 居られない







あんな 狭い環境の中で
みんなも 地元から ひとりで出てきて
知り合いの居ない中




みんなも すべてがわからない中





本音がいえなくちゃ
共には 生きられなったかったんだよな








平気で
冬に 
京都の阪急百貨店の前で待ち合わせて
6時間待たせて




ごめん
急にドレッドにしたくなってしまった。
(  歩いてたら 美容室あって…と  )





携帯を持ってない私を
待たせて
ドレッドヘアーになって現れる友、とか




その後 彼女は
珍しく←いつもは 絶対に奢らない
カプリチョーザのライスコロッケを
奢ってくれました。






私は学生時代
食費を削って暮らしてました、


それで 友が
お正月 
荒巻シャケ まるごと 一本買って
大量に 切り身を作って
自分のアパートの冷凍庫に パンパンに入れて



毎食 シャケを使った手作りご飯を
食べさせてくれました。
でも、彼女も
ほかの具材は節約のために
買わないようにしていて




シャケを 主食としてたくさん
続けて食べてしまうと
良くなかったのか



私は
からだにアレルギー症状のようなものが出て
通院しました、、、







( 蓼科高原の保養所の
お正月のアルバイトを 
私の事も勝手に申し込んで
前日に言う友、 とか 。。 




粗末に扱ってる、とかじゃない気がします

なんか、 つい。。 なんですょね 。。笑






だから
知りました





何もしてくれないから
望んだ事をしてくれないから
愛されてない、とかは 極論なんじゃないかな




何かされたから
愛されてない、も 極端な考えだと思うんです




色んなひとがいる、だけ😳
自分が愛されてなくて起こってる、より
相手の都合、相手のキャラ等で
起こってる事が とても多い気がします






わかっちゃいるけど
やっちゃった… とゆう感じとか 。。




よかれ、と思って
独断でやった事が


うわぁ。。って事になった、とか






それを、許せないなら
許せない想い自分を尊重しつつ
生きました


許せないのは悪い事じゃない。。




人と人の
関わり合いの中で
色んなことが起こります






許せない事に出会う度


器が小さいんだ、と責めますが



その時に
自分の望みが分かります
自分の事が よく分かります




大切に思う事が よく分かります
本音に気づきます







私が 京都で出会った友の
腹が立つ部分は

きっと、 類友でした。







私も 禁止してただけで
そんな要素は多大にあります )







その人が そうなのは 
きっと それでいいからだ





この世界は 
すべてが そのままで
完璧に出来ていて





そこに 付随する
悲しみも喜びも 別れも出会いも
困ったことも 苦しいことも 




すべて 受け取ってゆく





唯一無二の 物語を 生きていく





悪いことばかりじゃない
全部 自分のこと受け取って行く









望もうと 望まざると
すべてを 曝け出した関係が
私に教えた事は



そのままでも 
存在を受け入れられる場所はあった、という
忘れない事実でした。






迷う時に
遠い記憶が
何度も 何度も 
ちからになって



きっと ここにいてもいい。と

ものすごく苦しい時程
思い出して
存在を守ってくれました








私の 心の深くにいるメンターの
大学時代の 友




彼女は
地元では ヤンキーをされてたそうで
急に 進学しようと決めて
そこから
必死に勉強して
大学に入った人でした。





よくよく 仲良くなると


意外性ばかりだった。





初めて会うタイプの人でした。








初めて 会ったのは
寮のお風呂場で、




初めて 会った 瞬間
顔を見て
言われた事に びっくりして




人の顔に対して
こんな失礼な事言う人が居るなんて
信じられなかった 




スルー出来ず
飲み込めなかった





この人 大っ嫌い。と思ったのが
始まりでした。





最悪の印象から 始まって
会いたくなくて



でも、




何でか 
朝 大学に行こうとすると
玄関に居る



帰ろうとすると、駐輪場に居る



やっと 部屋に帰ってくると
内線で 電話がかかって来る📞





そして 、ある日
私が バイトに行った後 直ぐ


私の部屋にやって来たそうで
同室の先輩が
バイトから 帰った 私に言いました。



あゆみちゃん
きよちゃんが 来て
あゆみちゃんの服 借りていったんだけど

新しい服だったと思うの
止めたんだけど、、、ごめんね!!






え?と思って
卒業した先輩が置いていって
頂いた
小さな クローゼットを開けたら



買ったばかりの ピカピカの
唯一の一張羅が無い





(   当時 
藤井大丸さんの
通りを挟んだ向かいの
NICE CLAUPというお店の路面店に
飛び込みで入ってみた事があって



その日 


私はお店で出会った
白地に 
赤の大きな花と緑の大きな葉が描かれた


自分的には 
ものすごく派手なデザインで
でも 
ものすごく 心がときめく
丈が長めのシャツを一枚 買いました。


黒いパンツと合わせてみようか😳とか
どきどき どきどきしながら



それを買った日から

いつ この新品を着てみようかな、と
考える事が楽しみでした。 )







もしかして、、
勝手に借りてった服って
あれ…  😨




こういう時 
初めにくる感情は
驚きで 次に ショックで
そんで 髪の毛逆立ちそうな怒りでした





なにしてくれてんねん‼︎



あたしが やっと 買った
初めて買った 大事なものなのに
まだ 着てもいないのに




そして、
内線で電話かけるのも
すっ飛ばして
きよの部屋に行きました。




部屋のチャイムを押したら
きよの部屋の先輩が出てくれて




私は 頭を下げると
部屋にズカズカ入って
怒りに任せて 
きよに文句を言いました。





そしたら


あゆみーー、ありがとな

あれ、洗濯して返すから!




それだけ。




😨 コイツ、自分のしたこと 分かってないな





なんて 奴だ‼︎と思った 笑






とにかく 
文句言って 文句言って



それを ずっと 



先輩が居るのに
止まらなくて 



でも、 タバコを吸いながら



言い訳もしないで 
そこに居る 
彼女を見てたら




なんで ごめん、って言わないんだ。。と
不思議で。





結局 2週間くらい


許せない、と もやもや もやもやして
会っても
口を聞かなかったのですが







その後、
この人を見ていて


この人のやる事を見ていて
かなりの影響を受けた自分が居ました。






あの頃 携帯代って
とても高くて 
うっかり長電話したら
ナン万円もいってしまった時代でした。





彼女には
大学入学 直ぐからの
彼氏さんが居て
毎日 電話をしていました。




そして 毎月 携帯代が凄くて
たまに、
私に 借りに来ました。




一万円を貸すと
必ず 
二万円返して来ます




いいよ、 
二万も貰えないよ。と


言うと




あんたが 大変なのに
一万も貸してくれた
とっとけ。と 言います。




お金に対しての考え方が
私とは違いました。





冬に 
学生の感覚からしたら
ものすごく高いコートを買って
でも、 
そのお気に入りを
ずっと 大事に着てました。








私の将来の事をある日
きよは 言いました。




お前 多分 大学残って
働くとか そういうのがいい


だから
これ 行ってこい




他の大学の講座で
ナン万円もするから
ポスターで チラ見して
無理だな、と 思っていたものでした。



お金無いし
無理だよ。と言うと


自分も がっつり出してくれたけど
友人達から
少しずつ お金を集めてくれて




お前 行ってこい
みんなも 言ってたぞ
あゆみ お前 これ、行った方がいい






みんな 
あゆみは 黙々とひとりでやれる仕事の方が
良いんじゃないか、とか


企業とか 公務員とか
キツいんじゃないか、とか

歴史しか好きじゃないし
興味示さないし、とか  😳 笑


でも 大学残ってやるのも甘くないから


まだ時間あるし
何か 道があれば、、と当時
話してくれてたそうです ( 後日談 )






それで
そんな みんな大学生で


私の周りは 
正直 お金の余裕が無いので
毎日 バイトをしてる友人ばっかりだったし





それでも
この時 行かせて貰いました。





(  私を見ていて
色んな事に向いてない事を知ってるから




将来の事 心配してた事を
薄々気付いてました。



私は もう 逃げない、と決意して


その頃 自分に
できない事を無理にやらせて
自分を特訓していました 


苦手だからこそ
接客業しかやらない、と決めて
バイトをしたり
人前に出るように無理してました。
そして、つぶれる。。。  )






恩を売られる事もなかった



頑張ってこいよ、
しっかりやってこいよ、も
無かった。





みんな

強いだけじゃ無くて
弱さもあって


でも 倒れたままじゃ無くて
いつも 
自分で また立ち上がってた







私は 倒れたまま 
また 立ち上がる事が
いつも できなかった。





群馬に戻って
一年後位に


ちょこ ちょこと
大学の友人達から


就職活動が 本当に大変な事が
手紙になって 届きました。




最終まで 行ったけど
落とされた、とか
優秀だった 友人も すごく苦戦してました



この 辛さや 大変さから
私は 逃げたんだよな、、、と
手紙を苦しく読みながら思いました。




その後
みんなが 卒業した後の 京都へ
何度か 旅をしました。



私が 会いたい 皆んなは
それぞれ
地元に帰って 就職した子が殆どで



あの頃 いつも 歩いた
四条の街も 三条京阪の辺りも
高島屋さんも INOBUNも


みんなみんな
変わらず そこに 在るのに


もう 何も無くなってしまったように
思いました。




その後 大きな 何かを失う度に
京都へ行きました。





その度に
大学の友人達が 意識せず
残した ご縁が
私を そっと 助けてくれました。




彼女達は 知りません





がっつり 人と関わるなら
とんでもなく カッコ悪い姿を晒す事になって








時に
どうしょもない 自分を



(  見せたく無い気持ちが 大きい程  )


晒す事になってしまって





助けられる事になる。




知らずに たくさん 赦されてる
相手からしたら
多分 許そうなんて気もなく
苦しい心に気がついて貰ってもいる





私のチンケナプライドは 守られていた

  

わたしにとって
それは チンケナものじゃない。って
周りは 分かってたんだ、って 


今、分かります。





大学3年になって
寮が 急に取り壊される事になって
年間 11万円の寮費だったのに


アパートで暮らすためのお金が
必要になりました




それで、 また 無理をしたら
自分の全部が 壊れてしまいました。




電話が鳴っても取れず
ピンポンが 鳴っても
この姿を見せたくなくて



でも 結局 


親でも 知らない私を
助けるハメになった 友たち






何で 言わないんだ?
お前 何で こんなになってんのに
言わないんだ?




分かる
そう言われるの 分かる


なのに
助けて、が 言えなくて
自分の部屋で 倒れている所を
見に来てくれた 友人達に助けられて




ものすごく 荒れ果てた部屋の
ゴミを みんなで 片付けてくれて



何にも 責められなかった。




いちばん 見せたく無かった姿を
倒れながら




あぁ、 見られてしまった 。。。と




思いながら
もう 具合の悪さに 何にも出来なかった。




何にも 言われなかった







きったなくなった 台所を
綺麗にしてから
あったかい 柔らかいものを作ってくれた人





動けない私を
タクシー呼んで 病院に連れてった人






部屋のゴミを片付けて
汚れて 
捨てなくちゃなものを処分してくれた人






何回も 洗濯機をまわして
干せない分は
自分の部屋に持ち帰って干してくれた人





私の大学の時間割を調べて
体調の事を
教授達に 連絡してくれた人





あのまま
困る度に お願いできたら
誰かに 頼めたら




たくさん助けて貰ったなら
もしかして、



大学を皆んなと卒業できたかな






迷惑をかけてしまう自分に
直面する度に
毎度 毎度 泣くほど 辛かったけど




迷惑をかけたら
怖い事が起きる、と
ずっと 信じていたのかな





いつも
助けて貰うより
そこを辞める事を選んだ 自分








きっと
ひとりで頑張る人って
たくさん いると思うけれど







1番 見られたくない姿を
見せられちゃったなら


本当に 楽になる





それを 
私は 20歳で体験しました。









思ってる事 そのまんま
喋った




話す前に
何にも 考えないで



バカも アホも
何でもありな 世界






迷惑かけてない自分だけで
付き合う関係じゃなくて



まるごとな自分で
そこに いつも存在できる世界





嫌なことは 嫌って言って
いつでも
喧嘩できる世界




それでも 
まぁ、だいじょうぶだろう。と
お腹の底で 思っている世界





偽らざる世界





それは
私が思う 
良いも悪い、も
どっちでもない、も 



全部 ぜんぶが存在した世界






中退してから
何度も 京都に行きました。





わたしは あの時に 体験した
そのまんまで 生きられた世界に
戻りたかったから





嫌われても
嫌がられても
喧嘩しても



褒められなくても
役に立たなくても



ただ 毎日 居る、だけで



あゆみーー、って呼ばれる世界





お前は ヘタレだ、って
みんなが 知ってる世界




いつも お前はヘタレ、って 言われる世界





ヘタレって言われるのが
全然嫌じゃない 世界



ヘタレ、をだめな事って
思って 言っていない事が


日々の中で 
関わりの中で
分かっていたから






忘れないです
絶対的に 望む世界を体験したなら


忘れられないです。