三谷祭


※マジで無知の人間が書いてます。順序の違い等あるかと思いますがご容赦ください。あらかじめ順不同とさせて頂きます。

 三谷祭の概要と山車

三谷祭(みやまつり)とは元禄時代からの三谷町の産土神、八劔神社と若宮神社の例祭で、試楽祭(土曜)・神幸祭(日曜)の2日間にわたり町内各6区で奉納踊りを行うほか、海に曳き入れる迫力満点の「海中渡御」が行われます。


三谷祭で曳かれる山車は「やま」と言い、真ん中に立つ柱を「だし柱」と呼びます。神様の依代の印です。

二層一唐破風内輪四面幕で愛知県内外の山車と大きく違うのは進行方向に対して垂直に付けられた梶棒です。
また、足場の安定しない海中を進む為、ゴマは(知多型等のゴマと比べると)横に長く「コロ」と呼ばれます。

このような山車を「三谷型」、東区の若宮丸を「三谷舟型」と分類します。


山車は5輌あり、

上区「剣の山車」 昭和10年建造


西区「恵比寿の山車」大正5年建造


東区「神船若宮丸」寛政2年建造

北区「三蓋傘の山車」大正10年建造


中区「花山車」明治26年建造

他に松区は神輿を有し、三谷祭の神事全般を司ります。

 三谷祭の起源

三谷祭の起源は今から約300年前の元禄9年(1696年)8月のある夜、三谷村の庄屋“武内佐左衛門”は、不思議な夢を見た事に始まります。その夢は「この郷の産子神である八剱大明神が、村の東辺の若宮八幡(若宮神社)へ渡御なされた。」というもので、まさしく神のお告げであると、早速神輿を設え、重陽の節句(9月9日)に神幸の儀式を行いました。これが三谷祭のはじまりと言われています。

三谷祭を簡単に言うと⋯

試楽祭に「東区の神船若宮丸(応仁天皇)が八劔神社に赴き、日本武尊(やまとたけるのみこと)に東宮に遊びに来るよう挨拶に行き、神幸祭(本祭、現在は日曜日)に「前日応仁天皇から誘いを受けた日本武尊が快諾してお客に行く」というものです。


(三谷祭のホームページの文章を一部改変)


 本編



電柱の倍ほどある大幟

幟の元に米俵。



提灯屋型

秋葉神社

上区山車収蔵庫





提灯屋型

これは幟立て?



立派な彫刻

東区 若宮丸

右から花山車、三蓋傘山車、恵比寿の山車、剣の山車。

若宮丸









西区 恵比寿の山車



西区

西区

西区

七福神丸と名付けられた北区?のなんぞや?

七福神丸と北区の三蓋傘山車





北区 三蓋傘山車



中区 花山車





このセカンドカーは何ぞや





















海中渡御準備









亀崎の潮干祭は波打ち際を進むのに対して、三谷祭はしっかりと腰以上浸かります。






今日はここまで。

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