イケメンが教えてくれます!

 

おいっす!

(この記事には風神雷神さんの写真が使われています。転載禁止。)


前回、神鹿祭車 回送作業が完了しました。
 
作業終わりの師匠に桑名の街を案内して頂きました!!
 
水色の建物が田町の祭車庫
 
師匠と共に石取会館へ。
 
入口のモニュメント。
 
現存最古の石取祭車
旧型の「石取地車」と呼ばれるものです。
四輪祭車とも山車とも呼ばれます。
旧所在地は員弁郡東員町大木。
元々四本柱の上に八棟造の屋根が乗っていましたが、展示されていませんでした。
 
石取祭車は元々階段が無く、二段目に張子の人形などの造り物を乗せ岸和田の地車のように激しく曳き廻されていたようです。
造り物の中の一つが現在主流の提灯をピラミッド型に付けた「山形」であり、現在は「山形十二張」として12張の提灯をつけたものがありますが昔には山形二十張もあったそうです。
文政6年第十五代桑名藩主に就任した松平(久松)定永の影響を受けて次第に(現在主流の)三輪御所車に変わっていきました。
参考↓


 
今では見られない高欄蹴込もあります。
 
亀腹彫刻「龍」
 
太鼓掛、桁、持送り、木鼻等は唐草。
元々は朱色に塗られていましたが、2017年桑名宗社に譲渡された後、太鼓掛等の塗装が剥がされました。
 
後付の階段のため前に飛び出し、現在よく見られる三角彫刻はありません。
 
ゴマ覆いはおそらく新調されています。
(以前は太鼓掛け等と同じく朱色に塗られていました。)
 
胴幕は「富士の巻狩」復元品で、前後逆につけられています。階段があり正面からだとメインどころが見えなくなってしまうことからの配慮です。
 
 
精巧な模型がありました。
以前はとある料亭に飾ってあったものです。
 
極薄張提灯
裏面は「山月」
 
前破魔に金具に金具があるのが珍しい。桑名では京町のみがそれに該当しますが、その他の装飾が違うので、モデル祭車は無いようです。
 
天幕のミニ提灯がカワイイ。
 
元々諸戸家所有で東太一丸が仮車していた、現桑名市所有祭車
 
 
重い鉦や太鼓は負荷がかからないようにウマが噛ませてあります。
 
天幕は平成4年 連獅子図刺繍で川島織物が制作しました。
ここで珍しいのは”刺繍”という点。
知多型や名古屋型、その他の型でも刺繍を多用します。(勿論染物や織物も使われます。)が、この祭車という型では”刺繍”はあまりつかわれず、”染物”や”織物”が多用されます。それは何故か?というと、祭車という型では天幕昇降装置によって天幕が上下に動きます。その為重い刺繍は不適というわけです。
 
 
お!今日見た神鹿祭車だ!
 
 
扇も展示されていました。
 
後日過去のものを風神雷神さんよりいただきました。
 
6月第一日曜日に行われる渡祭順を決める御籤占式が行われたあと扇屋が急いで製作するのだとか。
 
 
破魔の一部
 薄く作っても丈夫なのが桑名大工です。
 
さて私が石取会館に来たもう一つの理由。
鉦鼓体験ができるのです!
 
感染症対策もバッチリ。
 
風神雷神さんより。
 
石取鉦鼓會長の目の前で体験するの緊張した。
 
初心者でもこのイケメンが太鼓の打ち方、鉦の擦り方を教えてくれます!
 
使用祭車は旧東太一丸祭車です。
 
そんなイケメンさんが目の前で実演を行ってくれました!
外連(縁打ち)がカッコいいドキドキ
 
去年の渡祭順番表。コロナの影響で27町の参加となりました。
 
へっへっへ資料も沢山。
 
石取会館のあとは桑名市内を師匠と祭車蔵巡りです!
新町にある西脇提灯店。
 
西山浄土宗江南山観音寺に寄りました。
この正面の唐破風のような部材が吉津屋町祭車の旧太鼓掛なのだそう。つい最近まで提灯がかけられていたので見にくくなっていたそうです。
 
このあと九華公園や隣地区の赤須賀等を見て回りました。
 
惜しくも帰宅時間となってしまいました。
 
また8月に!
 

今日はここまで。

 

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