神武祭

3/26 は上野間からスタートしました。
その前に祭礼紹介を行いたいと思います。(一部美浜町誌より引用)

野間神社
祭礼日は3月の最終日曜日の一日のみです。
美浜町誌には「野間神社は野間七村(細目、一色、柿並、北奥田、南奥田、上野間、坂井)の惣産神として祭られていた。」
(常滑市 坂井地区祭礼 松尾車)
とあり、かつては上野間の祭礼に坂井の山車が参加していたようです。
昭和60年発行の美浜町誌には「旧三月十五日 「松尾神社の祭礼」勇み奉納。」とあります。
 
上野間地区祭礼の見所は神社に続く坂の坂上げ、坂下し。
 
坂下しには山車に太い後綱をつけ、地面に埋め込まれている土管に絡みつけてゆっくりと下ろします。
 
祭礼には2輌の山車が出ます。
北部祭典部、越智嶋山車
 
 
 
 
鞘から出てしばらくは幅の細い道が続き、90度曲がる箇所が見どころ。
 
南部祭典部 四嶋山車 
 
 
坂の上に鞘があり、鞘出し直後に坂下しを行うハードな組です。
その為野間神社同様少し小さいですが土管が埋め込まれています。
 
また、坂の途中で90度折り返す為曲がる際に後綱を別の土管に結び直します。
 
 
さて祭礼当日に戻ります。

山車の呼称が「山車舞台」から到着後には「舞台」になっているのが面白いですね。
 
上野間駅からしばらく歩き、法被を着た方に出会いました。
 
越智嶋 の若家に到着。
 
鞘の中にはカッパに身を包んだ山車がありました。
 
越智嶋の山車 特にこれと言った車名は無いので越智嶋車と呼びます。(美浜町山車まつりの立札には越智嶋車と書いてあったので。)
 
野間神社への坂上げには通常の曳綱に追加で台輪の後ろから綱を出すので、台輪に綱が擦れないように藁をつけたりします。
 
お勇みが帰ってきました。
 
 
太鼓台
 
 
銅製の札
 
虹梁は唐草の筋彫り
 
鼓は小鼓と大鼓の二刀流。
 
上山方。
 若衆に6年入った者、未婚の者が1年だけ務めます。
高欄で御幣を振る係です。
 
 
 
答礼を行います。
昔からのしきたりがしっかりと残っています。
ここで先程の上山方の話も含めて上野間の若衆制度について解説します。
(と言いつつまた美浜町誌を写すだけですけどね。)
「〈当年衆〉〈当年衆〉〈当年衆〉〈当年衆〉〈当年衆〉〈当年衆〉〈当年衆〉〈当年衆〉〈当年衆〉〈当年衆〉
曳き出しの準備にかかります。
 
御幣を持ってきました。
 
 
 
綱出し。
 
養生の為敷いておいたブルーシートを剥がします。
 
 
ブルーシートに溜まった雨水が逆流し大きな水溜まりができてしまった···
 
そんな事は関係無く曳き出しです。
 
 
鞘から出たらハンド綱を出します。
 
イ通り、ハ通りそれぞれ2本づつです。
 
水溜まりを避けて···。
 
 
 
細い路地へ。
 
 
本当にギリギリ。
 
あ!高欄が折れた!
······嘘です。
上野間や坂井の山車は上山で采を振るため予め外せるようになっていて、運行中は基本的に外します。
 
電線も多い。
 
 
一旦休憩です。
 
今日はここまで。

 

 

 

 
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