*全国で5系列視聴可能になっている。
**日テレは当初の夢である全国ネットを実現できていた。
**だがテレ東に関しては80年代になるまで関東・東海・関西以外の地域への進出はできなかった。
**テレ朝に関しても70年代になるまで東北・北信越・中四国への進出はできなかった。
**情報格差が縮まっていた。よって地方も現実ほど衰退しなかった。
**その分キー局同士の争いが熾烈になっていた。
**深夜アニメが放送される地域が増えており、その分アニヲタの数も増えていた。
*当然ながら全国四波化計画はなかった。
*県域放送は独立局しか存在しなかった。
*使用される電波の数が少ないので遠距離受信が楽になっていた。
**そのため地球温暖化も少しは抑えられ、環境への負荷も減っていた。
**テレビ局に使われる土地も減るため、土地の節約も進んでいた。
*宮崎とかがネタにされてない。
**別の意味で岡山・香川もネタにされてない。
*それでもラジオは広域だったかは微妙。
*当然ながら「一部地域を除く」は存在しなかった。
*道州制の議論も現実より進んでいた。
**区割りについては北海道・東北・関東・北信越・東海・関西・中四国・九州の8地域制が有力視されていた。
*準キー局については東北は仙台、北信越は新潟、中四国は広島、九州は福岡に置かれていた。
*ケーブルテレビ加入率が現実より下がっていた。
**勿論再送信を巡っての大臣裁定沙汰なんかも起きなかった。
*BSデジタルは独自路線を採っていた。
*区割りについては北海道・東北・関東・北信越・東海・関西・中四国・九州の8地域制になっていた。
**山梨は関東に入り、新潟・長野・富山・石川・福井の5県で北信越広域圏を構成していた。
**静岡は東海広域圏に入っていた。
*ブロック紙の地域にも影響があった。
**中国新聞が四国も販売地域にしており、北信越地方のブロック紙も存在していた。
**後者なら新潟日報か信濃毎日新聞が有力化。
**NHKの区分にも影響し、北海道・東北・関東・北信越・東海・関西・中四国・九州の8ブロックになっていた。
**ひょっとしたら社会科の地方区分も北海道・東北・関東・北信越・東海・関西・中四国・九州の8ブロックになっていた。