2008年12月22日(月)

2008年秋 スルッとKANSAI3day 3日目(11)

桂 10:30 → 嵐山 10:37 (予定)

桂 10:30 → 嵐山 10:38 (実際)


阪急電鉄 嵐山線 普通

阪急2300系2350形2374



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次は阪急嵐山線に乗車します。嵐山線ホームは1号線とC号線なのですが、C号線というのはあまり例が無い表記ですね。




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一部の京都本線普通はこのC号線ホームから出発します。




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C号線は桂車庫と直接繋がっており、出入庫の回送列車が使用します。元々は桂車庫の留置線であるC号線だったのですが、1980年代の構内配線変更の際にC号線にホームを設け、そのままのりばの呼称としています。




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C号線から河原町方面を見たところですが、桂車庫と直接繋がっているのが分かりますね。すぐに右へ分岐している線路が京都本線及び嵐山線と繋がっています。




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残念ながら種別・方向幕未装備の2309Fは車庫でお休みでした。ちょっと残念。




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救援車の4250形4053です。阪急では1964年以降事業用車を4000番台としており、1982年に920系を改造して登場したこの形式も当初は4050形でした。この形式は制御車のため単体で動くことは出来ず、他の編成に連結して使用されます。改造されたのは全部で4両で、4050が西宮車庫、4051が平井車庫、4052が正雀車庫、4053が桂車庫に配置されています。正雀車庫の4052以外の3両は連結相手が6000系や7300系等を使用することになったため、連結器を密着連結器に換装し、ブレーキも電気指令式になっています。この改造で形式が4250形となりましたが、車両番号自体はそのままとなっています。




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C号線側の駅名標です。1号線・C号線ホーム自体を嵐山線ホームとしてあるので、実際に列車がC号線から発車することは殆ど無いのですが、1号線と合わせてあります。




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やってきたのは方向幕装備の2319Fでした。この時点ですでに6300系4両編成への置き換えが発表されており、置き換えられる前に乗車してみたかったのです。




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2300系は改造によって種別・行先方向幕を装備しているので、側面の幕は種別と行先が一体化されています。6300系は種別と行先が別なので、一体型のこの表示も見納めになるということですね。




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車内は登場時からあまり変わっていないと思います。壁面の木目模様の退色が激しいのは仕方が無いですね。以前の阪急なら、旧型車でももっときれいな状態を保っていましたよ。最近の新車・更新車が内装を濃くしているのは、退色の時間稼ぎの意味合いが大きいです。




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上桂駅に到着です。ここで上下列車の行き違いがあります。




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この編成も種別・方向幕を装備しています。阪急嵐山線は昼間のダイヤが毎時4本の運行なので、2編成が往復するだけなのです。昔は京都本線が15分サイクルのダイヤだったので、嵐山線も同様に15分サイクルの毎時4本運行でした。しかし京都本線が10分サイクルにかわり、それに合わせると毎時6本となって1.5倍の増発になってしまいます。このため30分サイクルで、桂→嵐山を12分・18分間隔、嵐山→桂を13分・17分間隔とする変則的なものになっています。これは行き違いを上桂駅と松尾駅で交互に行っているためです。




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中間駅のポイントはスプリングポイントになっています。大した運転速度でもないことや、省力化のためでしょう。




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嵐山線は新京阪鉄道が1928年に開業したものですが、当初は全線複線でした。阪急京都本線の前身である新京阪鉄道新京阪線沿線は当時人口過疎地域であり、沿線利用客が見込めないため、京都の観光地である嵐山へアクセスすることで活路を見出そうとしていたのでしょう。しかし見込みは大きく外れ、開業から2年後の1930年には複線の片側だけを使用した単線運行となってしまいました。そういう状態ですから、戦時中の1944年には資材供出のため全線単線化されてしまいます。このときは途中の交換設備も無い状態でした。列車交換設備を設置したのは戦後の1950年のことで、この時点から桂駅構内以外の配線は変わっていないようです。現在でも複線分の路盤があり、架線柱も複線用のものを残してありますが、観光シーズンでも現状の設備で対応出来るので、複線化されることはまずあり得ないでしょう。




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松尾駅です。嵐山線は行楽シーズンには本線用の8両編成から梅田よりの2両を切り離した6両編成で運転されますが、さらにピーク時には10分間隔の運転となり、その際は両方の駅で行き違うことになるようです。7300系8両編成のうち、2両+6両となっている編成があるのは、2両側が増結用編成の予備車、6両側が嵐山線の予備車兼多客時用とすることでトータルの車両数を減らす目的があるためです。




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当然ながらここもスプリングポイントです。




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嵐山駅の手前で左にカーブします。




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開業当初は6面5線の大ターミナルだったようですが、現在使われているのはそのうちの西側3面2線のみです。




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右側にホームがあるのが分かりますね。通常は明かりのついている中央の1面のみを使用します。




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右側のホームは2階の改札口に繋がっており、ピーク時には2階を出口、1階を入口とすることで乗降分離を行います。




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嵐山駅に到着です。




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嵐山駅の駅名標です。副駅名として「嵯峨野」の文字がありますが、駅自体は嵯峨野と呼ばれる地域よりもやや南にあります。なので京都人としてはやや違和感がありますね。




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1号線側も外側ホームが2階の臨時改札へ繋がっています。




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開業時に使用されていたホームが現在もそのまま残っています。




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さらに3線あったわけですが、当時の京阪の強気な姿勢がうかがわれますね。




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嵐山駅駅舎です。現在は改装されたそうですが、まだ立ち寄っていないのでどんなイメージなったのかが分かりません。情報によれば詐欺みたいに小規模な改装だそうです。また駅前広場も石畳舗装となるようです。




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行楽時に開設される臨時の切符売り場にはシャッターが下りていました。通常は右側にある3台の自動券売機だけが稼働してます。




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臨時改札からの出口はここにあるのですが、通常は閉鎖されており、近隣の小学校児童が作成したものが展示されていたりします。