クモちゅのブログ

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 遠い記憶。俺はガキの頃、父親に連れられてパチンコ屋にいたことが何度かあった。隣で座って見ていた のだが、店員に断りを入れられ追い出された。当然だ。


 その当時から約13年後か、パチンコパチスロを覚えたのは。俺のパチデビューは比較的遅いと思う。20歳になった後。当時は4号機全盛。専門学校の友達が、勝てる勝てると言っていた。一緒にやろうぜと誘われた。俺の母親はギャンブル大嫌いで、昔から口をすっぱく「ギャンブルなんて損するだけだからね」と、それとなく言われていた俺はそんな友達の言動を全く信用せず、パチンコパチスロはしなかった。

 それから1年後くらいか、新しく仲良くなった友達に連れられ、学校帰りにパチンコ屋へ入った。まぁ、体験してみるかな程度である。友達は空のタバコの箱を次々と色々な台の下皿に入れていった。今にして思えば掛け持ちである。当時の俺は意味がわからなかったが、友達いわく「勝てる台を全部抑えたんだ」だって。へぇ~すごい。俺は打てるはずもなく、勝てるはずもないと思っていたので取ってくれた台もやらなかった。俺はずっと、友達が打っている黄門ちゃまを見ていた。途中から出だしたので、代わりにやっておいてくれないかと言われ、代わった。その間友達は、他の取った台を打ちに行った。そこからの記憶はあまり無いが、俺は友達に5000円もらった。凄い、ただ代わりに打っただけで5000円・・・もの凄い金額であるが、友達いわく「色々引いてくれたからだよ」と言っていた。意味がわからなかったが、友達はもっと勝ったのだろう。

そこから、俺は友達に教えられて打ち始めた。初めて打ったのはGOGOジャグラーV。あの緑色の筐体が懐かしい。友達に出そうな台を選んでもらい(当時は完全に波理論であり、確率は見ていなかった。データ機の粒を見てたちまわっていた。他の友達もそうだったw)打ち出し、早い当たりを3回ひいて、ひよって即止めした。まぁ当然か。ビッグ引いても、次々とコインが飲まれていくのが怖かったのだ。この事からもわかるとおり、性格的には俺はパチンコパチスロで勝てる人間なのだ。パチンコパチスロは、臆病な人ほど勝てる。これは本当だと思う。別に俺が勝てているとかではない。


北斗、番長、秘宝伝は1回打ったことがある程度。銭形、鬼浜、鬼武者なんぞ打ったこともない。よくわからないし怖かったから。あ、ジャイアントパルサーは1度打って沢山出たな。4000枚くらいは出たんじゃないか。友達に「これは間違いなくでるから、打てよ」って言われて打った。左リールの3連カエルなんて狙えるはずもなく、友達の弟に押してもらっていた。今にして思えばウザい年上である。その友達の弟がまた凄いんだ。自衛隊で働いていて、いつも彼女と一緒に色々な台を打って勝っていたな。

で、そんな設定なんて言葉も知らなかった俺がはまった機種が、南国育ちである。何故はまったかというと、簡単だったから。キュインと鳴けば当たり。蝶蝶が飛べば連荘、わかりやすく、熱い。ちなみに、今の南国は蝶蝶が飛んだ音シャラララーの後、ビキビキビーンみたいな音がするが、全くもって下品である。5号機で初めて南国が出たときは楽しみだったが、打ってみて落胆した。

 南国だけは少し勉強して、設定というものがあることを覚え、そして南国の設定6の挙動だけは知っていたが他はなにも知らなかった当時の俺。まぁ負けますわ。一度、初当たりはめちゃめちゃ軽くて、初当たりだけで3箱詰んだ事があり1日つっぱしたが、最終的には1万負けになったこともあったな。懐かしい。とにかく蝶蝶を飛ばしたかった当時が一番楽しかったかもしれない。普段は、学校帰りに友達数人と行っていただけだったが、南国を知ってからは休みの日に一人だけでもパチ屋に入っていた。当時は一人でパチ屋に入る事自体も緊張していたw

南国は、撤去間近の日に最後に打って仮天井でバケを引いたのが最後かな。未だにあの台が一番好きかもしれないなー。


4号機が終わるという噂が聞こえ、5号機が出始めた当時、5号機は色物扱いだったのを覚えている。4号機と5号機の島が分かれており、店内の看板やチラシも、4号機と5号機は隔離していたな。当時はスパイダーマンが置いてあったのを覚えてる。他の機種はあまり覚えてないなwで、誰も5号機には座らないので、当然出ている様子も無い。当時の俺は養分であり、出てる出てないはカチ盛の数で判断していたので、5号機は出ないものだと勝手に判断していた俺は、当然5号機もやらなかった。


その後はパチ屋から遠ざかり・・・そして約1年後へ続く