数年間、怒りの感情から抜け出せないでいた時期がありました。

布団に潜り込むたびに
とある理不尽な仕打ちを
何度も何度も思い出して
怒り 嘆き 憎み

また、
子どもに怒りを爆発させたり。


どちらも、
感情を爆発させる前には
「来る、来る、また来る」
という感覚があり、

マイナスを爆発させることが
気持ちよすぎて 

本当に気持ちよすぎて

止められませんでした。



それが、あるとき

こんなことに
大切な自分の時間を使ってたらアホらしい

と、はたと目が覚めました。


怒りの感情を感じつくして

ある意味
飽きちゃったんだと思います。


だからなのか
今は 怒ること、めったにありません。

子どもには、怒るというより

静かに教え諭す感じでしょうか。


最近知り合った人に
そんな怒りの時代の話をすると
まったく想像できない、と言います。



渡辺和子さんの
「置かれた場所で咲きなさい」のなかに

“不機嫌は立派な環境破壊”
という項があります。

私は私の不機嫌で、家庭の環境破壊をしてきました。子どもたちに不機嫌のタネを撒いて きょうだい仲を悪くしていました。それは私の親が撒いてきたタネでもありました。機嫌ひとつで私をどなりつけた父親を引き継ぐことなく、ご機嫌なタネを撒いていく。

それが今の私

そういう在り方であると、決めました。