タイフェス。
夏の1日。
神々が奏でる音楽みたいなタイの太鼓やシンバルの響き。
じっとりと暑い夕暮れ、シンハービールを片手に、贅沢で神聖な時間。
土屋君のタイ舞踊を見たのは、とっても久しぶりです。
前に見た時、土屋君が大切に踏む足跡が、金色に光っているようでした。
土屋君は踊ることで、お師匠様やご先祖様、神さまへの感謝を、大地に印しているようでした。
風のような、
花の香りのような、
目には見えないけれど確かに在る神さまの気配のような、
いにしえからの人々の営みがすなわち神の現れのような、
そんな美しさを感じました。
祈り
って、そういうものなのかもしれない。
日々、見えないものへの畏れと感謝する気持ちと行為、
それこそが、祈り。
たとえば
お料理すること
お掃除すること
お散歩すること
犬の瞳の中に私の瞳を視ること
しごとさせていただくこと
大好きな人と愛し合うこと
感謝と感動の中には、いつだって祈りが発せられている。
「こうなりますように!」
「○○してください、お願いします!」
っていうのは、単なる自分勝手な責任転嫁なのかもしれない。
神さまって、「原因と結果の法則」そのもののエネルギー、
黄金の法則だから。
今回の土屋君の踊りは、
前に観た黄金の足跡の美しさに加え、
もっと生活に根付いた人間らしさを感じました。
きっと、毎日の生活の中に、
奥さんや息子さんの中に、
あるべき処へと導かれてゆくことの中に、
自分の予想を超えた、
導きのようなものを感じ、
毎日見つける小さな喜びに、感謝をしているからなのだろうな。
アーティスト、表現者は、
そういう日々の在り方が、どうやったって舞台に出てしまう。
隠そうとして隠せるものではないし、
意図的に現そうとして現わせるものではない。
自然と、顕れてしまうのだ。
佇まいに。
眼差しに。
指先の角度と柔らかさに。
とってもいいものをみせていただきました❤️
土屋君と一度でも一緒に舞台を創れたこと、
本当に良かった。
もうすぐタイへと旅立つ土屋君。
またその祈りに立ち会えるのを楽しみに❤️
いってらっしゃ〜い*\(^o^)/*