このところ毎日ずっと、臨死体験に関する動画をみたり本を読み続けている。

 

どうしてなんだろう、日本人の臨死体験の記録が驚くほどに少ない。

きっとあるはずなんだろうけど…

立花隆さんの「臨死体験」上・下巻も素晴らしいのだけど、いささか表現が古くなっていたり、証言そのものがあっさりしているように感じる。

もちろん実際の体験者が得たインパクトの大きさは計り知れないけれど。

そもそも日本人の「死」に対する感受性と、海外のそれとの違いに気づいた。

 

アメリカ発信の臨死体験談(Near death experience, NDE)は本当に沢山あって、本格的な研究もされているし体験者のコミュニティも発達している。

英語圏だけでなくドイツ語圏で語られる臨死体験談もものすごく豊かで、そちらからも色々と学ばせていただいてる。

 

 

 

フロイト提唱の「タナトフォビア(死恐怖症)」という概念もあるくらいだし、ドイツ語圏の人たちの頑なな雰囲気の人々から語られる「死についての新しい概念」というのは深みがある。

こちらのサイトは英訳された動画もYouTube上にはあるのだけど、ドイツ人の英語発音の癖が強くて大変なんだけど内容が素晴らしいので必死にみている。

 

とても惹かれる臨死体験者の方については、本をだしてる場合にはドイツ語を英語に変換して読んだり、動画もドイツ語字幕を英語に変換して内容を理解したりもする。

 

私にとってはそれくらいに重要で必要なことなんだけど、友人知人には理解されないので自分だけのためにコツコツと…

とても孤独です。だけど、私に必要だから。

 

 

人って自分にとって大切な存在が亡くなって壮絶な喪失を体験するか、自分自身が死の恐怖に苛まれるか、このどちらかが起こらない限り「死について深く探求する」ことってないのかもしれない。

私の場合、2020年1月に自分自身の死の恐怖感覚に突き落とされてから全てが変わった。(コロナ禍による影響ではない。むしろコロナ禍で生き辛さから解放されたタイプなので)

死について深く考え続けてる最中に唯一の家族であった母が亡くなった。

十分すぎるきっかけとなっている。

 

みんな、いつか必ず死ぬのに何故そんなに普通に生きていられるんだろう。

そんな風に周りの人々を観察してしまう。

 

私が心から救われるのは臨死体験をした方々の話。

彼らが命懸けで得た真実を、それを書籍や動画を通して発信してくれている有難さに深く感謝しながら学ぶ日々。

アメリカが特にすごいのは、『Awakening(目覚め)』というスピリチュアリズムをどんどん進めていること。

引き寄せの法則とか思考の現実化とかそんな物質世界にとどまることではなく。若いうちはそういう事がとても大切だった時期もあったけど。

今の私にはそんなことどうでも良く思えてしまう。

 

いかにトラウマから解放されるか、いかにありのままの自分でいるか、どうやって自分を愛するか、どうやって恐怖を解消するか…

 

日本人の臨死体験談もこの先もっと大切に扱われていくことを望んでいる。