脳動静脈奇形 | kumisatoのブログ

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2013年、年明け早々、息子サトが脳動脈奇形で脳出血を起こし開頭手術。二ヶ月後退院。その一月後、旦那の膵臓ガンが発見され、2014年年末に亡くなりました。
家族は、娘ミサ。息子サト。そんな母の呟きブログ。

外泊も充分楽しめ、実生活のリハビリも進んで、そろそろ、今後のリハビリや生活について、どうしようかと話が出てくる程、回復してきた。

親としては、少し言語障害が気になる。近くに言語聴覚士のいる施設か病院がないかK看護師に探して頂いた。

症状は、言葉が出るのに時間がかかる。頭では、分かっているが、それを言葉にして、発音するのが、難しいらしい。

人間の脳って、本当に複雑で不思議なんだと実感した。

言語聴覚士の居る、リハビリ病院は近くにあった。しかし、老人施設のリハビリで、痴呆や脳卒中で麻痺がある年配の方がほとんどで環境が良くない&10代の中学生は預かった事がない、と体良く断られた。

この時、昼寝していたサトシがK看護師に起こされ
K看護師「サトシ君、走れるか?」
サトシ「ん?走れるよ」

その後、1Fのロビーをサンダルで走って見せたようだ。

その後、K看護師から、断わりの連絡があったと言われ、遠くの施設に行くか、思いきって今まで通っていた学校へ登校するか、どうしようか相談された。

親としては、週末しか面会に行けない施設は可愛いそうだし‥

ん~、難しい。

K看護師「まあ、友達に囲まれるのもリハビリになるかなぁ」

旦那「ふ~(ため息)、学校に行くかぁ。学校行ったら、喋んなきゃいけないし、身体も動けば体力もつくし‥」

学校に連絡し、学校の先生、看護師長
サトシ、親で話合いを行なった。

結果、もう少し入院しながら、外泊し、午前中の登校から始めることになった。

まだ、雪の残るなか、学校へは歩いて40分。まだ、長時間、重い勉強道具を背負って歩けないので、登校時は、旦那が送り、帰りは、12時からの会社の昼休みに、私が迎えに行き、午後から留守番しながら、休憩。目標は、ミサの卒業式に出席する事。

術後ひと月程して、開頭した部分の髪の毛が抜けきて、傷&ハゲ隠しでタオル帽子を被っての登校。

同級生達、サトシに何が起こったのか
改めて確認したようだ。

やっぱ学校は、楽しい。でも、授業は、さっぱり解らん‥、(o_o)
黒板に書いてくれたら、いいのだが、言葉のみの説明は、理解しにくい。

《聞く➡考える➡ノートに記入》
普通の人なら、簡単な事だが、今のサトシには難しい。脳の信号がつながりが、まだ悪いらしい。

また、一斉に話かけらると、理解でかない。一つの命令なら、解かるが、
二つ•三つとなると混乱する。例えば、《右手を挙げる》は出来るが、《右手で、左耳を掴む》と、なると混乱する。

言葉にでるまでも時間がかかる。そんなサトシでも、同級生達は、温かく迎えてくれた。二日目も、楽しく登校してくれた。良かった(^_^)

午前登校を休み休み一週間程行い、フル6時間授業を行なった。

6時間授業をしたら‥
大好きな体育は‥バスケ
残念ながら見学、
サトシは超不満Σ( ̄。 ̄ノ)ノ だが、
しょうない、身体がまだ完璧じやないから。

毎日、学校での様子を「どうだった?」と、《聞く➡考える➡喋る》訓練をさせた。これには、私も気を使った。あまり、喋りたがらないサトシに、どう聞いたら、答えやすいかを考えてから話かけた。また、時間は、ミサが帰って来る前。だってミサは女の子。帰ってきたら、弾丸のように喋る。
サトシの喋る隙が無い‥ ^_^;

(続く)