友達同士で映画の話ができずに浮いてしまうのがほんとうにコンプレックスで、ついに映画を視聴し始めたが、アニメより映画を好む彼らと僕との相違点は実に明確で、それは「現実世界でそれなりに友達が多いかどうか」という単純な話に気付いチヤツタ‼️🧠💡☝️🤠
三次元にマトモに人間関係を構築できないと、映画内でリアルの人のノンバーバルな間だったり、感情だったり、そういったことを深く理解することができない❗️
いや、逆で、映画を観てこなかったからノンバーバル、バーバルに限らず対人コミュニケーションに支障をきたしているのかも知れない
僕は映画を全部観ても、登場人物の名前と顔が一致しない。最初は洋画だからかな?とか思ってたけど、邦画でも同じだった。これは、現実世界でもそうで、人の目を見れないしそもそも興味が持てないから、人の顔の造形が分からなくて、誰々が可愛いとか、そういった友人同士のちょっとした下世話な話にもついていけなかった。ルッキズム以前の、もっと大切な問題だ。僕は、出身地とか最寄駅とか、単なる好奇心に基づいた情報だけで人を判別していた
つまり、人間に興味を持ってこなかったのが全ての元凶‼️なんだと思う。
人間に興味を持てないから、自分の行動に他人の行動の良し悪しをインストールできない。客観視できない。から、空気が読めない。二次元ばっか依存してきたから、自分の言動を立体的に俯瞰して見ることができない。結果、孤立。
21年間も生きてきて、マトモに映画を見初めて、ようやく、一つのコタエにたどり着いたのかも知れない。
映画は、残り4/8。いまは、1日10分ずつ『トゥルーマン・ショー』を視聴している。
読書も、三島の長編小説を半分くらいまで読んだ。
トゥルーマンショーは主人公がトゥルーマンだから、分かりやすい。
21なんてもういい大人だが、映画を通して、人に興味を持つ練習がしたいと思う
と同時に、映画がサブカルより優位に置かれている理屈が実感できた
観ている人、というよりは、、その性質の問題だったのかも知れない
萌えアニメにはシリアスも濡れ場も、出てこない
あれって、現実逃避に特化したメディアだったんだなあ、、、
なんか、急に、恥ずかしくなってきたなあ
なんかアニメを元に社会学的考察してる社会学者たまにいるけど、あれ無理ありすぎるよなあ