3月11日。

6年前に、東日本大震災が起きた日です。

皆様はあの日あのとき、どう過ごしていましたか?

 

私は家で原稿を書いていて、

倒れそうになった本棚を必死に抑えました。

 

上から本がバサバサ落ちてきて、怖かったけど、

何より怖かったのは、

強い揺れが近づいてきていることがわかる瞬間。

 

遠くから、ジワジワ伝わってくる振動は

どう抑えようとも抑えられるわけがなく。

 

自然の脅威の前には、人間は小さいものなのだなあと

思いました。

 

人間の非力さをさらに見せつけられるような出来事が

その後、東北の各地に次々と起こったわけですが…。

 

津波に襲われた後、あちこちで見られた光景。

 

『鎮守の森のプロジェクト』HPより 写真:佐𦚰 充(BEAM×10)

 

波にさらわれた後に残る神社です。

 

ある調査によると、福島県の沿岸部にあった神社、

82社のうち、14社は海中に沈み、

残った神社はすべて津波がくるギリギリの場所に建っていることが

わかりました。

 

さらに調べると、海中に沈んだ神社は

近代になってから建てられた神社。

残った神社は建立年代がわからないほど古いものが

多かった…ということ。

 

この地方は、

貞観11年(869)の大地震でも津波に襲われたことが

わかっているため、

当時の人たちによって、

津波がきても安全な場所に神社が建てられた、

と言われています。

 

確かに、その可能性は高いと思います。

 

でも、

 

神社は、人間の都合で建てられるものじゃない

 

と、私は思っています。

 

それは、神社とお寺の大きな違いでもあります。

 

 

神社に、今のように社殿が作られたのは、

仏教の影響。

 

もとは、大きな岩や木、滝や山そのものに

「ここは他と違う」

「なんだか、尊い気配がする」と感じた

私たちの祖先が、そこに手を合わせ、

祭祀を行ってきた場所。

 

 

三重県熊野市の山中にある丹倉神社は、

どんな神様を祀っているかもわかりません。

 

でも、想像を遥かに超える昔から、人々を額づかせてきた。

 

その有無を言わせない力は、この場にいるだけで、

ヒリヒリするほど伝わってきました。

 

写真からも伝わっていると思うのですが、

どうでしょう?

 

神社はこうして、場所そのものが尊いもので、

そこでしかあり得ない場所に今もある。

 

対してお寺は、国や貴族など特権階級の人たちが

自分の好きな場所に建て、仏像を祀ったもの。

 

お寺に尊い気が満ちているとしたら、

それはそこで修行を重ねた僧侶たちや

手を合わせてきた人たちの気によって

聖なるものになっているのだと思います。

 

もっとも神社も近年になると、人間の都合で、

たとえば高台からお参りしやすい下のほうに移されたり、

それこそあちこちに祀られていたものが

一箇所に集められたりしています。

 

このときの津波で海中に沈んだ神社も

そういう神社だったのだと思います。

 

たまに神社で「古祭祀場跡」が残っているところがありますので、

そんな案内表示を見つけたら、ぜひ足を運んでみてください。

 

そこは私たちの先祖が間違いなく、

「尊いもの」を感じ、手を合わせていた場所。

 

立派な社殿よりも、もっと強い何か…を感じるかもしれません。