前回も書きましたが、三男風は、お話を読んだり聞いたりするのがとても好きです
で、中でも「食いつく話」って言うのが、分りやすくて・・・うまく言葉で説明するのは難しいのですが、「これ、風が教えて教えて~~もっと話して~~って言うだろうなっ」ていうのが、なんか分るんです
例えばね・・・初めて東京タワーに行ったとき(こちら☆ )入り口に、「南極物語」のタロー、ジローの石像みたいなのが置いてあって、軽く説明したら、もうすっかり気になっちゃって・・・ずっと、どんな話?どうして犬を置いて帰らなければいけなかったの?って・・・東京タワーなんてそっちのけ
それはそれは真剣に聞いてくるから、適当なことは言えなくて、実家の姉のAちゃんに教えてもらったり、家で調べなおして話してあげたりしたものです
例のもう一つはね、たまたま小学校の歌集の話をしていて、「あ~~おかあが昔好きだった歌があるんだよねぇ~~確か、イカロスって言う人が出てきてロウの羽が溶けて・・・」←分るかしら?「勇気1つを共にして」
軽く言いながら、「あ、これ、風が知りたくなっちゃう手の話だな・・・」って気がついて、ちょっと面倒くさい・・・って気がついたのですが、すでに遅し
「どうして、この人はつかまったの?ロウの羽が溶けて、どうなるの???」って・・・そりゃあストーリー性がある歌詞だけど、母、そこまで知らないし
センサーがビビっと反応して、「知りたい知りたい、教えて、話して」モードになること・・・それって、風に限らず、子どもってみんなそんなセンサーがすごく敏感なのかもしれないなぁなんて想います
でも、いつもいつも周りの大人が納得いくまで応えてあげたり、話してあげられるわけでもなくって、私みたいに面倒くさいって後回しにしちゃうことが多かったり、そうこうしているうちに、感度が鈍ってしまったり、もしくは人に聞くこと、素直に教えてってせがむことをしなくなっていくのかなぁとか・・・ふと想ったりします
だから、実家に草が小さい頃泊まりに行くと、じーちゃんやばーちゃんと一緒に寝て、延々と昔の話を聞いたりしていて・・・どんな「教えて」にも全部丸ごと応えてくれるじーちゃんたちの心地よさが、今でも彼のじーちゃん大好きの原点にあるのかなぁとか
風が大好きだった幼稚園の先生(年中年長2年教わった)も、とにかく、子ども達にいろんなことを話してくれる先生で・・・これは難しいからとか、知らなくてもいいかって勝手に判断しないところが、風にはすごく幸せだったんだなぁって
今日は、どんな流れか忘れましたが、風が自分達が赤ちゃんだった頃の話を聞きたがりました
ご飯後、お風呂までのほんの数分のことですが、たまたまMもいたし、ほんのちょっとゆとりがあったのかしら?私にね
そうそう、こんな風に聞かれたんだ、思い出した
風「3人のうち、誰が一番かわいい~~?」
私「そう来たか・・・3人それぞれにかわいさがあるんだよ・・・おにいは、一番最初の宝物だし・・・」
風「おにいが生まれたとき嬉しかった?」
私「そりゃぁ嬉しかったよ~~はじめてだもん~~でね、幹の時にはまた違ったうれしさがあったの、前にも話したけどおなかの中で育たなかった赤ちゃんのあとに、やっときてくれたのが幹だから・・・」
風「風は?」
私「風はね、お母さんがお兄ちゃん達二人育ててきてやっと少し慣れてきて、今なら本当に大変よりかわいいって楽しく思えるようになったぞってときに生まれてくれたのが風だったから、全然大変じゃなかった、かわいくて」
私「半分は兄ちゃん達が育ててくれたしね、幹が離乳食のときに風の手を持ってパチンってあわせていただきますさせてくれたし、草がスプーンで食べさせてくれたんだよ。ベビーカーのときは必ず幹がドアを開けてくれたし・・・」
風は嬉しくてたまらない顔で聞いています
私「草はとにかく赤ちゃん大好きだったから、体張って笑わせようとしてくれるんだけど(赤ちゃんって変な音とか喜ぶじゃない?だから必死に・・・)、でも、風は幹がとにかく好きで、幹がただ通るだけで爆笑だったの」
話して欲しいんだよね、子どもはみんな
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