料理番組が好きで、結構真剣に見てしまう。最近夜になるとすぐに眠くなってしまうために、夜中に起きてしまう。起きてしまうと、なかなか眠れないので、映画やドラマを見てしまう。私にも暇をつぶす余裕が出てきたのだ。今まではあまりそういう暇というか余裕がなかった。もちろんリアルタイムのドラマは寝ていて見られないし、再放送も見られないし、時間が有り余って見ようという気持ちになったのが今だったのだ。3ヶ月無料の登録で、この10数年間で見られなくて惜しかった映画やドラマを見ている。子育てで忙しくて、仕事で忙しくて、見る余裕が全くなかった。見てみようと思いもしなかった。

いろいろと映画を見た後に、やはりドラマを見ようかと『きのう何食べた?』をシーズン1から見ることにした。ちょくちょく見ていたが、続けて見ることはできないでいた。何が好きなのかというと、しろうさんが丁寧に料理の手順を話しながら料理を作るのがいいし、けんじがそれをとても美味しそうに感想を言いながら食べるのがいい。けんじがとても優しくて自由で情緒豊かでそういう人を見ているのがいい。私の周りにはいないタイプだ。私が料理を作っても、もちろん解説はしないし、最後の方はやっつけで作り上げてしまうし、全く充実感のない料理なのだ。そして食べる家族もあまり感想を言わない。生まれ育った家庭でもそういうことはなかった。だからとても新鮮なのだ。とても憧れる。人ってこんなに情感豊かに生きていていいのか、とか変な所で感心してしまう。丁寧な暮らしに憧れを持つ。生まれ育った家庭では、他所の料理やら何かしてもらったことなどを言うのはタブーだった。その言ったこと、してもらったことを馬鹿にされた。何々してもらった、と言うとその卑下した感じが親の気に障るらしくて、言ってはいけないこととされていた。調理中の親に話しかけることもタブーとされていた。作業の邪魔になるという理由だった。短い時間で調理を終わらせなければならないからだ。

そんなトラウマがあると、ドラマの中の優しい幸せな空間はとてもこの世のものとは思えなくなってくる。でも憧れる。ほっこりする。嬉しさや優しさや自由さが補充される気がする。自分の持った家庭でも実現できなかったことを、ドラマの中で追体験する。したことないのに。何だか嬉しいんだか、悲しいんだか、分からなくなる。私だってそれなりに手作りにこだわって、手間も時間もかけて料理をしてきたつもりだったが、ドラマの中の丁寧さはどうしても手に入れられなかった。最後にはやっつけてしまうのだ。ADHDなのかな。残念だな、と思う。最近は疲れ切ってしまっているから、料理も子どもたちに任せきりになってしまう。そんなことでいいのか母親が、と自分に言い聞かせる。でも体は思うように動かない。また鬱が始まってきたのかな。夜中に起きてしまって映画やドラマを見てしまうと、明くる日の体調はボロボロになってしまう。そんなことでいいのか分からないが、まだコンセントを入れないでいる。コンセントはどこにいったのだろう。コンセントの在り処も分からなくなってしまった。