家庭やプライベートで割と自由気ままに過ごしている人は、世間体を気にして普段とは裏返しの生活を送っている気がする。家族とは暴言を交わしているのに、外に出るとかしこばっている。そういうパターンの人は身近にいて、そういう人は簡単なプレゼントや折に触れて何かしらの贈答品を差し出したりする。普段とのギャップだ。外側にいる人はその人に良い評価をするが、プライベートでは毒舌王だったりする。近しい人を困らせたりする。

私の周りには割とそういう人がいて、私は困らせられるが、どうすることもできない。ただただ傷つけられた傷あとを覚えていて、傷つけられたことだけを覚えている。そんなに外部にばかりいい顔をしないで、こちらにも親切にしてほしいと思うが、いつもニヒルな態度で毒舌を吐いてこちらを困らせる。多分、外でいい人を演じ疲れてしまうのだ。そこまでいい人を演じなくてもいいんじゃないか、と思うが、性分なのか、見栄なのか、プライドなのか、そういうことはやめない。私も疲れてしまう。ギャップを埋める作業をしてほしいと思うが、そういう思いは伝わらない。

私はできるだけ事実や本音に近い部分で生きていたいと思うが、それも諸刃の刃で誰かを傷つけているのかもしれない。結局中庸がいいのだろうが、そこら辺を見極めるのは難しい。ただ普段のプライベートだけを押し進めるのならば、気軽にできるが、仕事や本気でやろうと思っていることには、手を抜けない。それも性分か。

性分やら見栄やらプライドを削ぎ落として、穏やかな人間であるために、宗教はあるのならば、それは是なのであろう。そういう余計な部分があるために、人と人は摩擦しあい、軋轢を生む。軋轢を生んでいる間は、両者は一歩も引けなくなる。どちらかが一歩引くか、両者離れるか。全くそのようなものがなくなったら、それはそれでその人らしさというものがなくなってしまう。でも強い個性というものは人を傷つける。人を傷つけて、そのことを本人が反省しなければ、変わらない。

そこまで考えて疲れてしまった。私の周りには強い個性の人が割といるのだ。そのことに諦めを持って生きていかないと、こちらが参ってしまう。