私は絶望のあとに笑いがきて

心が救われることを知っていた

だから

どんな状況のときにも

笑っていたかった

それは不可能なことではなかった

どんな状況でも

そこに潜む笑いを見つけ出すことは

容易にできることであった

笑いを見つけることができなくなるくらい

疲れてしまったら

休めばいいのだ


笑いによって

それまで思い詰めていた

硬くなった心を解きほぐすことは

とても安心するし

ほっとするし

力が抜けていく

その状況を作り出したくて

私はいつも

クラウンを演じていた

笑えればいいのだ

でも

最近の風潮は

そのクラウンまでも

笑い飛ばす

そして

人の尊厳を踏みにじる

そういう風潮であるらしい

わざわざ

笑いを作り出しているのに

それを馬鹿にするような

その人を馬鹿にするような

そんな風潮だ

その程度の人だ

と思われるような

とても貧相になってしまったと

思わずにはいられない

私はクラウンの衣装を脱ぐ

だって誰にも通じないのだ

つまらない世の中になってしまった

もちろん分かってくれる人はいる

でも圧倒的少数なのだ

人に言えないような

苦労をしてきた人か

思いやりのある人だ

そのような人たちが

少数で

私の笑いを分かってくれないのであれば

私は笑いを作り出すことに

意味を見いだせない

もっと広く伝わることを想像していたから

思いやりのある人というのは

結局自ら傷ついてきた人で

やはり

そういう人は少数派なのだ

今は

そういうのは流行らないらしい

私がずっと少数派であったように

そのような人は少数派なのだ


いくらカウンセリングをしても

癒やせない傷はあって

それは自分自身で癒やさなければならないのだ

私はいつも同じところに立っている

あの時の

あの場所の

あの日傷ついた自分を

俯瞰して見ている

見ているだけで

何でそこにいるのか

分からないでいる

自分で自分を癒やす時が来たのだ

傷ついた自分を認めて

自分を癒やすのだ

それをしないと

いつまでも

次の次元に行けない

いつまでも俯瞰していることも

できない