長男が幼い頃、友人の実家に突然お邪魔することがあった。突然お邪魔して、しかも夜にホタルを見に行く約束までした。夕飯は家で食べてもいいでしょう?と友人が言って、お母さんはいいわよ、と別に普通なことというように私たちの夕食まで用意してくれた。多分、実家のご両親と友人とその子どもの分しか作ってないのに、私と長男の分まで多めにして作ってくれた。何ていうかそういう心遣いがとても嬉しく感じた。それはカレーライスであった。何だか安心しながらカレーライスを食べた。それからホタルの鑑賞会に出かけた。その場所に行くのも友人のお父さんの車に乗って行った。そういった一連の行動が普通に行われることにとても感動した。私の実家ではそういうことは行われない。そういうことは思いもつかないし、そういうことはやりたがらない。カレーライスを普通に食べて感想を言い、それに対してお母さんも何かを言う。意見とか文句とかではない。穏やかな時間が流れていく。私はそういう家庭に憧れていた。私の家庭では決して行われない会話であった。だからと言って、私が自分の子どもたちにそういう会話をできたかというとまた疑問だ。私は穏やかな幸せな気分を味わいながら、自分は欠陥者だと思う。何だか惨めな気持ちになるが、すぐに気持ちを入れ替えて、温かい気持ちと入れ替える。私はイキイキとした気持ちではいられない。いつも会話に乗り遅れる。そんな気遅れがいつも基本にある。

長男の髪が伸びてきて、いよいよ切らなければ、という時に、友人のお母さんに髪を切ってもらった。はじめての散髪だ。友人の家の駐車場のところで切ってもらっている長男を見ていて、私はとても幸せを感じていた。私は盆栽でも何でも切るのが好きなのよ〜なんて言いながら、長男の髪を切っている。

私の母が長男の1歳の時に倒れて介護状態になったから、優しくされていたのかもしれない。そういうことははじめての出来事だった。私は嬉しかった。そういうお母さんになりたいと思ったが、私はなれていただろうか。甚だ疑問が残る。でも子どもたちもずいぶん大きくなってしまった。私にできることは何だろうか。まだできることはあるだろうか。