広島に出かける朝に少しだけ早く出て親戚の家あたりを探してみようかと思ったが、もちろんそのような時間はなく、広島へ向かうことにする。おそらく2時間くらいはかかるであろうというのがペンションの支配人の話であった。2時間かけて広島に行って、2時間かけて広島から帰って来る。なかなかハードだが、そのようなことは妹に会う日はいつもしている。ただ高速道路に乗るだけだ。地図的に見ると岡山から広島は隣同士であるから近そうに見える。行けるだろうというのが、予定を立ててからの予想だった。でも行けなかったらどうしよう。着くまでドキドキだった。

ブロ友さんとは、原爆ドームで待ち合わせをした。TVでしか見たことがないけど、多分そこに行けば分かるであろう。昼に会う予定にしていたから、間に合うように車を走らせる。ちょうど昼前に高速道路を降りることができそうだった。高速道路を降りる時に療育手帳を提示しようと思ったが、先にETCが反応してしまったか何かで割引料金で精算できなかった。マイクで係の人に出てきてもらうことにして、待っていたけどなかなか係の人が出てきてくれない。クレジットカードと療育手帳を渡して事務所に帰って確認すると言う。そうしてもらって待っていてもなかなか戻ってこない。なかなかに焦るが、ブロ友さんに連絡して遅くなるかもしれないことを伝える。大丈夫気にしない、落ち着いて来ることを言われるとホッとする。安心できる。私にはそういう装置が内蔵されていないから、そのように言われるとホッとする。係の人がやっと戻ってきて、精算をしてくれたことを言ってくれる。間違えないように高速道路を降りるにはどうすればいいか、今さらながらにレクチャーしてもらって高速道路を後にする。

原爆ドームまではとても近そうだった。駐車場はたくさんあるとブロ友さんが言っていたから、とにかく近くまで行くことにする。細かい道に入るのも分からなくなりそうだから、原爆ドームの真横にある駐車場に駐車する。ブロ友さんに連絡して待ち合わせをする。原爆ドームの前ではガイドの人が観光客に説明をしている。外国人が多い。待っているうちにトイレに行きたくなっていく。戻ってきたらガイドの人が英語版で説明をしていた。そこにいるだけで原爆ドームのことがわかりそうだった。何となく原爆ドームの周りは天気が良いと暑くて直射日光が当たって熱中症になりそうなイメージだったが、大きな木があって、その木陰で立っていると暑さが遮られてよかった。木陰が気持ちよかった。川に遊覧船が走っている。ここまで来るまでに広島の路面電車も見られて、ホクホクだった。路面電車は可愛い。普段見慣れないから可愛いと思う。

しばらくしてブロ友さんと落ち合うことができた。ブログで何となく顔を知っていたので、すぐに分かった。嬉しくてテンションがおかしなことになる。妹を紹介する。お昼ご飯を何か食べようとなって、広島と言えばお好み焼きであろう、ということでお好み焼き屋さんを探す。有名どころの店は列ができていて、なかなか入れそうにもない。ちょっと商店街に入って見つけて入ることにする。ブロ友さん曰く、広島らしいお店ということである。エレベーターを降りたらすぐに鉄板と席が用意されていて驚いた。関東ではお好み焼き屋さんは何となく賢ばっておしゃれな作りになっている。まぁすべてのお店に入ったことがある訳ではないけど。これが地元ということか。

メニューを決めて注文してお好み焼きがくるまでいろいろと話をした。お好み焼きがきてもいろいろと話をした。私の話は物凄く飛ぶので、それをすみませんしながら話す。ブロ友さんはいいですよ、大丈夫です、と言いながら聞いてくれる。安心してどんどん話す。たくさん話をしてしまって、気づいたらお好み焼きが無くなっていた。そば入りであった。とても美味しかった。話しながら食べるお好み焼きが美味しかったことと、ブロ友さんにたくさん話を聞いてもらえて嬉しかった。

私の当初の予定であったおでかけ療育協会の加藤さんのところに突撃することをブロ友さんと話し合っていた。加藤さんは少し都合が悪かったみたいだけど、せっかく来たんだから突撃しましょう、となった。加藤さんにはとても迷惑である。でもブロ友さんに加藤さんと連絡してもらって突撃することにする。本当に迷惑。加藤さんは会うとすぐに優しい人であることが伝わる人であった。関係ないけど、私の母と私の娘と宇多田ヒカルとユーミンと同じ誕生日である。何故か運命を感じる。話し方が優しいし、加藤さんに会って話をすると癒やしがある。会って癒やしがある人はなかなかいない。社会構造が抱える福祉の問題点とか、自分の療育の話とか話をする。私は最近仕事で怒ってばかりであることを話す。加藤さんは、みんな人間だから、といつもと同じように私に話してくれる。妹にも話してくれる。堂々とおでかけしてください、と。部屋に入る前に妹が加藤さんに挨拶をしたらしいけど、私は気づいていなくて、妹は頭を下げる、頷くしかできないはずだけど、加藤さんには何か言ったという。最近は生活介護のスタッフに挨拶することが妹の課題になっている。そのことを伝えて、妹は加藤さんには伝わる何かの挨拶をしたのかと思う。加藤さんは妹がお話ができると思ったらしい。妹は話ができない。長年支援者として活動していると、そういう心の機微まで見えてしまうのか、と感激する。私にはまだまだだなぁ。支援者として従事していた年月が違うし、経験値が圧倒的に違う。加藤さんは移動支援とかもされていたことがあって、その話を聞くと楽しそうだと思う。もちろん苦労も体力も想像するのとでは全然違うのであろうけど、そういうのもいいなと思う。

いろいろな話をして、記念に写真を撮って、部屋を後にする時に、帰路の交通安全を加藤さんがしてくれた。気をつけて運転してください😊という言葉で帰りも安全が保証された気になって気分が良くなる。

そこでブロ友さんともお別れして、短い時間であったが会えてよかった、と心から嬉しくなった。広島の人は心が広いなぁと思った。安心した。会って安心して、口調を聞いて心を開くことができて、嬉しい人ってなかなかいない。癒やされた。ママ友に会って何でも言いたいことを言い、聞いてもらったり、話を聞くのとはまた全然違う。おばあちゃんが言っていたらしいけど、広島の人は優しい、というのを実感した。

取りあえずまた岡山に帰ってペンションの門限に間に合わなければならない。それまでに藤井風の故郷の里庄に行って夕日を写真に収めなければ。私の任務は続く。