電車に乗れないほどのパニックを起こしたことはないが、車や電車や船など、逃げ場がない場所でいつパニックになるか、恐れて不安でどうしようもなかったことは、ある。それは30代あたりまであっただろうか。40代は鬱だったので、出かけることもなかったし、そのうちに気にならないくらいになっていた。義実家への帰省の新幹線や、子どもたちの町内会の遠足で観光バスに乗る時や、他人の車に乗るのが苦痛だった。たった20分でも飲み物を持たずには電車に乗れない。何かのきっかけで咳が出てきて止まらなくなったらどうしよう、周りの人に迷惑をかけてしまう、それが不安だった。長い間飲み物を買わずには電車には乗れなかったが、最近それも克服した。映画の中で、電車に乗れないシーンがあって、見ている間、私も咳が止まらなくなって困ってしまった。最近はその症状も、鼻水が喉を通っている時か、逆流性食道炎で喉を痛めている時と、原因が分かったので、余裕を持って対処している。それでも、咳がなかなか止まらないと、止まらないのでは?という不安が先に立って、恐怖心を持ってしまう。根本的な解決法として、鼻の健康と胃腸の健康を最優先にすればいいのだが、これらはいつもいつの間にかに悪くなっていて、耳鼻科の受診も胃薬の服用も後回しになって、咳が出る。気は使っているつもりなのだが、いつの間にか咳が出るようになっている。私は長い間、喉に細菌かウイルスが付いてそれを払うための咳払いだと思っていた。そんなに喉が敏感な筈もなく、たぶん鼻の症状か胃腸の症状なのであろう。実際にたくさん咳をすると鼻水が出てくる。

映画本編には全く触れてない感想だが、私にはそういうところが共感できた。パニックが起きて、不安で、己を失いそうになるところ。PMSは体が怠いという症状で起こるから、私は精神的にイライラする、何かに突っかかるということはないから、ちょっと共感できなかった。でも実際にはそういう女性はいると聞く。周りの人は大変だろうと思う。上白石萌音さんがあのような役をするのが違和感であったが、現実的な辛さが映像を介して迫ってきた。上白石萌音さんがインタビューでこの役には共感できない、と言っていたが、それにしては現実にいるみたいに見えた。それは、役者の力量であろう。私個人としては、上白石萌歌さんの方が推しなのだが、彼女は最近なかなか活動が出てこない。上白石萌音さんの人気と実力が評価されていて、私的には寂しかったが、そして上白石萌音さんの出演している作品は殆ど見ていないが、今回は良かったと言える。上白石萌音さんは、いろいろな役ができる。上白石萌歌さんは、印象的な役が似合う、というところであろうか。上白石萌歌さんは、本人が実際役者に興味が持てないのかもしれない。そこまで考察して、この件に関しては思考をやめておく。実際に知らない人のことについて、ずっと考えてみても仕方がないからだ。

作品を通して、会社の中で、ご迷惑をかけたお詫びに、とか、たまたま美味しそうだったから社員分も買ってきた、とかいうお土産をみんなが拒否することなく、もらっているシーンがいいなと思った。はじめは、生クリームが嫌い、という理由で拒否するシーンがあるのだが、それ以外はみんな遠慮なくいただく。私はそういう優しい世界が好きだ。何か親切をしても、それを受け取らない人ってたまにいて、そういうのは、差し出した人の気持ちを押し返すことになり、自分の信条は貫けるけど、相手の気持を考えてない、といつも思うのだ。そうやってNOを言える環境も自由でいいということか。もらっておいて捨てられる、または嫌々誰かにあげられるよりかはいいのか、分からない。捨てられる以外は経験済みだが、何ていうかそういうのをもらって嬉しいと表現して、くれた人を労るとか、そうやって思ってくれていることを大事に思うとか、そういうのって大切な気がする。そういうのは大きなお世話と言って切り捨てるのが、最近の世の中なのか。確かに上白石萌音の役は普段から、人に気を使いすぎて、PMSの時に悪化している気もするが、人に気を使いすぎる優しい気持ちと、それをしないと人からの評価が怖いと思う自分の芯の無さに、たぶん自分自身疲れてしまっているのだろう。若い時ってそういうことに簡単に左右されるのだ。そういうものからはみ出して、図々しく生きる人を羨ましく横目で見ながら生きるのだ。その人はその人で悩みがあるのかもしれない。人は簡単に壊れやすいのだ。毎日毎日同じように起きて勉強したり働いたりしていても壊れるのだ。壊れていることを自覚しないで、生き続けるのは苦痛なのだ。そういったことが症状として現れるのだ。そこまで考察して今回の感想としておく。