子どもの頃からクリスマスイブとクリスマスと言われたら、25日が本物で24日は偽物のように感じていた。まぁ25日を楽しみにして、その前日である24日からお祝いやらデートやらの準備をするということか。何でも理屈っぽく考えるのが私の考え方だ。本場アメリカではハロウィンが終わったら、ずっとクリスマスみたいになっているし、休日もたくさん取れるし、まぁほとんどが仮りそめの仏教徒であるのに、クリスマスを祝おうとする日本人が本流やら伝統やら語りだしても仕方ない気はする。
私的には今年のクリスマスは出来る限りの準備をした。ケーキの予約やチキンの予約をした。子どもが小さい頃から私には計画性というものがなく、クリスマスまでにお金が残らず、ケーキは手作り、チキンはコンビニのチキンで済ませていた。ケーキは手作り、とはクリスマスシーズンにスーパーマーケットで売り出されるケーキのスポンジの台を買って、缶詰のフルーツを買い、生クリームでデコレーションするものだ。そうするとケーキを買うよりも何分の1くらいの経費で済む。ほとんど毎年ケーキは手作りした。最近は娘が手掛けてくれることも増えてきた。彼女もお菓子やら料理を自分で作るのが好きなのだ。でもこうも毎年とか、誰か家族の誕生日に作ってばかりだと、義務感が生じて気分が悪い。ここまで20年くらいやってきて、偉い自分、娘、ということで、今年はケーキを購入することにした。同時に今年はケンタッキーフライドチキンを久々に食べたくなり、WEBで予約できるようだったので、予約した。2つともに24日の夕方に取りに行くように準備した。25日は長男が色気のない男集まりで焼き肉の予定があると言っていたから、24日だった。数年前までケンタッキーの予約も来店して行っていて、取りに行く時間も道が混んでいたりして、とても労力を必要とした。今年はケーキもチキンもWEBで予約、クレジットカードで精算だからとても楽になった。
前置きが長くなったが、東京芸術劇場でパラアートの展示会があるから、訪れたかった。でも予定が詰まっていて、最終日である24日の午前中しか予定が空いていなかった。でも観ないと後悔するから、観に行くことにした。そして一家のサンタとして買い物も済ませなければならない。何だか予定が盛りだくさんでうまく進むか心配であったけど、進むことにした。パラアートはいつも演奏会がある5階で開催されていた。最終日とあって観覧者が多く感じられた。私が結局そこに辿り着いたのは昼近くになっていて、観覧者も段々と増えてきたという感じであった。一家のサンタとして夫もついて来た。我が家としては、サンタが前日までプレゼントを用意していないというのも異例であった。夫は普段子どもたちの様子など、ほとんど気にしないが、クリスマスだけは張り切る。相当実親に良くしてもらったのか、何かロマンがあるのか、分からないが、数週間前からプレゼントを用意していないと心配な人である。売り切れていないか、買い物はいつ行くのか、とソワソワする。私はそんなものは売り切れない、とか、わざわざ下調べしたり早めに購入したりが億劫な方だ。子どもたちが小さくて人気の玩具を買うのにおもちゃ屋の開店を並んだこともあるが、正直くだらないと思っていた。私はクリスマスプレゼントは桃缶やら毛糸やら質素なものであったから、自分でも何か欲しがったりしなかったから、クリスマスプレゼントにはほとんどロマンがない。それと、我が家には子どもだけではなく大人にもサンタがプレゼントをくれる仕組みになっている。大抵は夫へのプレゼントが1番高価だったりするのだが、まぁ子どもたちのプレゼントと一緒に置かれている。私の例年のクリスマスプレゼントは財布やら、バッグやらであったが、それもネタが尽きて、昨年は太鼓の達人で、その前くらいはリングフィットアドベンチャーであった。その前の前くらいは、マリオカートだったかな。私は全くゲームに馴染みがないから、サンタにもらっても、全然有り難みがなく、まぁ直前に私の希望で購入するのだが、ゲームを開いてやり始めてもなかなかのめり込めない。マリオカートは3Dでその画面を見るだけで、酔ってしまう。太鼓の達人は、何故か楽しさを感じなかった。選曲が私の好みでなかったか。リングフィットアドベンチャーは夫としばらくはやり込んだが、そのうちやらなくなってしまった。夫のプレゼントはゲーム機本体だったりするので高価だ。夫はゲームが好きだからやり込む。好きなだけ時間を使う。私が家事や子どものことをしていても、夫は自分の時間は死守する。それでは夫は病みようがないな、といつも思う。好きなことを好きなだけ、好きなだけ空間を使ってやり続けるのだから、ストレスは溜まらないだろう。私は家事やら子どものことやら何もかもが済んだ後に残った時間を使って趣味をする。全く違う。
パラアートのことを書きたかったのに、すごく脱線してしまった。きかんしゃトーマスのように私は脱線が好きだ。夫のことはいつもイライラさせられるが、夫は絵を観る才能があるので、一緒に行った。私は絵を観るのは好きだが、目線が初心者なのだ。夫は高校卒業後の進路に美大を勧められたこともあるくらいに、絵がうまい。絵がうまい才能は私にとっては羨ましい限りだった。恩師は畳3畳くらいの油絵を描く人で、友人と個展を開くような人であったから、絵の才能には憧れがあった。夫と結婚したのは絵の才能と会話のあり得ないウィットさであったな、と思い出した。パラアートの会場に着いて、夫と歩いていると、一つ一つの絵に解説が入る。私は印象とか、自分が好きかどうか、だけで絵を観るが、夫はどのように描かれたか、を専門に観る。この絵の具は、とか、色鉛筆で描いた後、水彩絵の具で塗って弾かせているね、とか、いろいろな色を塗った後に黒で塗りつぶして、その上を引っ掻いて描いている、とか、そういう見方をする。何色も版を重ねた版画もあった。特徴的なのは、色のチョイスで、色を隣に置くセンスとか、それを何度も描き連ねるとか、特徴的な形だったり、多分健常と言われる人はやらない、やれない技術の宝庫であった。綿密にびっしりと描かれるモチーフやら、その重ね方やら、そういったものが普通の絵画では得られない感動を生む。私はブロ友のお子さんの作品を見に行ったのだが、そこに辿り着くまで、辿り着いた後も感動が続いていた。何だかんだで時間を作って行って良かったと思った。