【熱意の源①】なぜ心身の『つながり』のサポートにここまでこだわるのかという話 | HSP2.0・育成者、支援者、サポート者のための〜非認知能力アップ実現のためのポリヴェーガル理論理解

HSP2.0・育成者、支援者、サポート者のための〜非認知能力アップ実現のためのポリヴェーガル理論理解

敏感、繊細、感受性の高いHSP(highly sensitive person)が、生まれ持った感性と強みを仕事に活かして生きていくことをサポート。
日本で最初にHSPとポリヴェーガル理論を結びつけ、生きづらさは自律神経系のケアで解消できることを説いている。

・国家資格キャリアコンサルタント

・Gallup認定ストレングスコーチ

・TRE(トラウマ&テンション・リリース・エクササイズ)国際認定アドバンスプロバイダー

・自我状態セラピー(パーツ心理学)セラピスト 

4つの顔で、ライフブロック(生きづらさや停滞感、疲労感)から強みの人生への転機をバックアップする皆川公美子です。

これまでにのべ7,400名ほどの方のご相談を伺ってきました。

 

今日は、私自身のことについて少しお話しさせていただこうと思います。

なぜ心と体の『繋がり』を扱うことに至ったのか、

そして今その中で見えている真実について、皆さんにお伝えしたいと思います。

 

少し私の生い立ちに触れますが、ぜひお付き合いください。

 

 

転校続きの幼少期とHSPとしての適応

 

私は、いわゆる昭和の高度経済成長期に子供時代を過ごした人間です。

両親は戦中にちょっとかかるくらい、または戦後すぐに生まれ育った世代で、家庭はいわゆる中流家庭。

すごく裕福!ではなかったものの、小さな家があり、食べるものに困ることもなく

幼少期には習い事もさせてもらいました。

 

親も自分のことを愛していてくれたと思いますし

物質的に何不自由ない子供時代を過ごしていたと思います。

 

私の父はとてもエキセントリックな人で、

自営業をしていましたが経営者としてはなかなか他人とうまくいかず、

職場や住まいを次々と変えていくライフスタイルでした。

 

結果、2学期〜長くて3年ぐらいで私たちは転居を繰り返していましたので、

家族で15回以上引っ越しをしました。

 

今思うとこの経験の中では、私のHSPとしての才能が自然に発揮されていたように思います。

新しい環境に飛び込むたびに、このクラスのキャラはこんな感じだな…というのを

一瞬にして感じ取って身体で理解し、

時には明るい目立つキャラ、

時には反対に静かに、存在を消すように過ごすクラスもありました。

これはもちろん考えてやっていたことではなく、本能的に行動していたのだと思います。

クラスの中でのポジションをつかむのがめっぽう上手いHSCの子供でした。

 

自営業で忙しい両親のもとでは私が弟たちを気遣う役割になるのが自然な流れで、

(完璧ではもちろんないですが)

彼らのケアはかなりしていたと思います。

 

小学校6年生の時、作文で「どんなことに後ろめたを感じるか」というテーマで書くときに

弟たちが夕方になっても帰ってこないこと、って書いたら

先生に「お前、母親みたいなやつだな」って眉をしかめられたっていうのは

強烈な思い出として残ってます。

 

私にしてみたら、

 

え?!という出来事。

 

え?わたしだけ?みんなこうじゃないの?

っていう世界で生きていたんですよね。

 

 

エキセントリックな父と愛情深いが不安定な母

 

今思い返すと、ですが

 

家庭内では、父がいつも「一番を目指せ」と言っていました。

 

鼻くそ飛ばしてもいいから一番になれ!

 

っていうのが、そのころ父が言っていた言葉で。

 

 

 

水泳もピアノも、一番を目指すことが当たり前だと、

みんなが一番を目指しているのだと信じて疑わずに生きていました。笑

 

 

そのエキセントリックな父は、

大人数の中で仕事ができない人でした。

だから1人で独立してやっているけど、志がすごく高くて

いわゆる大組織にあるような機材を自分で揃えたいタイプ。

だからうちはいつも借金だらけでした。

 

 

母は母で、戦中戦後の苦しい時代にいろいろ大変なことがあって

自分のことはわかってもらえない、

認めてほしいっていう概念が

常に心の底にある感じの人でした。

無条件の愛情に満たされなさがあって

周りから認められたいという気持ちが強かったかもしれません。

 

 

「朝からあなたたちのために料理を作ってこんなこともしてこんなこともして…」

と、いうのが朝一番の母の言葉で

 

わたしたち子どもが

 

「ありがとう疲れたよね」

 

としか言えない、

そういう会話スタイルでした。
もちろん子どもはそんなスタイルじゃないスタイルがあることは

わかりません🤣

 

「私ほど優秀な人はいないのに」(どうして認めてくれないのかしら)、

 

そんなことを言っていました。

今文字にするとすっごいですね!笑

 

 

 

だから父との折り合いが上手くいかないときは

なんで私を認めないんだ!とワーッてなって

父の言うことをすべて言葉で否定していたので、

その後父も暴れ出して浮気がいっぱい起こりました。

 

 

 

私が中高生の頃には大変な状態になってしまった我が家でしたから

 

家の中でだらっとしている時間がある、

 

とか

 

みんなで談笑しながらテレビを見ている

 

といったことを経験することはありませんでした。

(結婚してからそれが普通にある夫の家族に触れて

これは「私のために演じてくれているのだろう」と思っていた・・・w)

 

 

青年期、幼少期に自分はどういうふうに生きていけば幸せなのかということを

じっくり考える機会があるとよかったのですが、

私はそういったピリピリした緊張感の中で成長し、

 

母はわたしに音楽の道に進むことを期待していたので

 

「親の期待に応えることが自分の幸せだ」と思い込んでいました。

 

 

友達や仲間との時間をただ楽しむ、

自分の時間を味わう、

ダラダラとしながら笑って休む、

そんな経験がほとんどありませんでした。

どちらかというと緊張感が高すぎる家庭に育ったということです。

 

 

過度な緊張感が身体に及ぼす影響

 

そんな家庭で育った私は、思春期に大きな身体の不調を抱えることになります。

 

幼少期から常に強度の便秘でした。

 

6歳くらいから15歳で毎日水泳をしていて超体育会系、

中学生時代は毎日1万メートルを泳ぐような夏を過ごし

強靭な体力と肉体を持っていた私が

ある日突然、腰椎ヘルニアを発症。

 

顔も洗えない、歩くことすらままならないといった状態になってしまったんです。

 

整形外科の先生たちは

「ずっと水泳してたんだよね、こんなに背骨の周りの筋肉も発達してるのに

・・・何でかね」と

不思議そうな感じでした。

 

 

今ならわかります。

幼少期に、身体の緊張状態が解けない家庭に育ったために

腰の辺りの深層筋である大腰筋がずっと激しく緊張していて

緩むってことがなかった。

背骨と鼠径部の間に過度な緊張がずっとあるために
(腰椎が常に引っ張られていたために)

背骨がだんだんずれていくということが起こっていたかもしれません。

家族の緊張感やストレスが、私の体にはっきりと影響を及ぼしていたんだろうと思います。

 

そういう長い緊張状態から抜け出せなかった背骨が、

大学3年のときには左手が動かないという状況を引き起こしました。

 

 

音大に行ったのは

今思えば母の夢でしたが、もちろん私も音楽は好きでした。

ただ、人生をかけてやりたいというほどのワクワク感はありませんでした。

それでも、そこそこ器用な私だったからか、

芸大に受かり、その後ソニーミュージックにも就職し

世間的には「順調」と言われるような人生を歩んでいたんです。

 

でも、身体の不調は続きました。

特に私は脊柱、背骨に問題が出やすく、腰部に疾患が現れた後、30代で頚椎、

さらに胸椎にも問題が発生しました。すべて脊柱なんです。

 

ちょっと余談になりますが、ボディワーク的にいうと、

脊柱は身体を支えるものです。

自分を支えるものが不足していたり、過度な緊張や不安が続くと、

その影響が身体に現れることが多いようです。

 

幼少期から私はずっと「なんとなく大丈夫」という感覚がありませんでした。

 

常に上を目指す→何かが私には欠落している

足りない


そこはかとなくそんな緊張状態のなかにいました。

 

その結果、脊柱にたくさんの不具合が出たのだろうに、

何十年も「なんでだろう」と不思議に思っていました。

 

 

今ならよく分かります。

 

心の緊張感が身体に反映され続けた結果です。

 

 

特に思春期以降、家庭が大きく崩れ、両親が絶えず言い争いをしていました。

父がもう亡くなったので今なら言えますが、

父は窓ガラスを割ったり、家の中に熱湯をばらまいたり、極端な行動を取っていました。

 

今ならわかります。

父も苦しんでいたんです。
でも当時、子どもだったわたしには理解できません。

 

 

 

 

わたしは息を殺して生きていました。

 

そういう極度の緊張を引き起こす家庭環境にいて、

 

「どうしてこの人たちはこんなことをするんだろう」

 

「人の心ってどうなっているんだろう」

 

とずっと探求していたんです。

 

 

 

心理への探求

 

最初は心理学に興味を持ち、いろんな本を読んでいました。

小説を読んでいても

「この人はどういう心の持ち主なのか」をずっと考えていました。

 

犯罪心理のプロファイラーになれると思います(冗談です)

 

母は世間的には明るい人で、周りの人の世話もよく焼くタイプでした。

でも、子供に対しては、愛情があったとしても、

その方向が少し間違っていました。

 

母は自分の幸せや理想を、子供に肩代わりさせようとしていました。

無意識のうちに。

それが子どもの幸せだと信じて。

 

そんな母のもとで育った私は、

そして常に学び夕食後もすぐに自室に引っ込んでいた父の空気に

影響されていたわたしは、

 

「もっと頑張らなきゃ」「もっと高みを目指さなきゃ」

 

と考えていました。

そして努力している自分を認めてほしい

認めてほしいと思っていました。

ふっと緩むとか、今この瞬間を楽しむということは

当時の辞書には存在しなかったと思います。

いつも頭の中は先の計画でいっぱいでした。

 

そんな状態で、体に不調が出ないはずがありません。

 

もちろん、世の中のすべての体の不調が家庭環境だけに原因があるわけではないですけれども、

私の場合、過度で長く続く緊張状態から抜け出せない身体

大きな疾患につながったことは間違いないでしょう。

 

 

私が心理学に興味をもった動機は、家庭内の争いを見てきたからでしたが、

家庭内の空気や

親の愛情という名のプレッシャーが

体の不調に繋がり、

さらに筋肉の緊張や骨の位置にまで影響を与えていたんです。

 

自分の不調に繋がっていた、身体大きく壊した原因は「過覚醒」です。

ずっと交感神経にいすぎる、状態をいいます。

 

 

それがこの筋肉の収縮を起こし、骨の位置にまで影響を及ぼしている…ということが

すべてつながったのは

 

ポリヴェーガル理論を知ったとき。でした。

 

そうだったのか!ようやく全てが繋がった…そんな感覚でした。

 

心と体、

感情と身体性を扱うという、

ポリヴェーガル理論が示した

対人支援の可能性を大きく広げる理論が

私の人生とどう交差していたか、今日はそんなことをお話させていただきました。

 

 

過度な緊張状態が

子どもにどのような影響があるか、という事例として

今日の記事をみていただけたらと思いますが

 

過去のわたしがそうだったように

 

クライアントさんは

「わたしはごく普通の家庭に育った」と思っている

 

ことが多いです。

 

虐待や

マルトリートメント(不適切養育)があっても

そう思っていることが多いです。

 

言葉の端々から

もし違和感を感じたら、

注意深く

クライアントさんの気づきを起こす方向の

対話を心がけたいですね。

 

今日もお読みくださってありがとうございます。

 

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