どうも敏捷でない、警戒心も薄い、よくこんな生き物が生きてこられたものだと思えるような生き物にひかれる。

鳥でいうと、キジバト。
普通の鳩、ドバトに比べると、筋力の強さも気の強さもすべてに劣る。
とにかくどんくさい。
群れることをしないので、せいぜいツガイがあるだけで、たいてい一羽。
目の前に撒かれたエサも、次々にドバトに食われていくのをただ見つめるだけ。
だから愛おしい。

哺乳類だと、マーモット。
中国の山岳地帯に生息する。
特にヒマラヤマーモットが、どんくさく可愛い。
以前から大好きだった、このマーモットに昨日会いに行った。
中国だと食われかねないこの生き物は、やはり心惹かれた日本の(おそらく)獣医師によって保護され日本にやってきた。
マーモット村というのが作られ、ずっと行きたい行きたいと思ってきたが、昨日やっと願いが叶った。

冬になると皮下脂肪が増え、丸々としたヒマラヤマーモットたちは、みんなで重なり合って寝ている。
本来なら冬眠する生き物なので、冬の間は、なんだかボウとしている。
キャベツやニンジンやサツマイモを食べているのに全員デブで、激しく愛おしい。
一時間そこで過ごし、一緒に行った友人はデカいぬいぐるみを買い、そいつと一緒に寝るらしい。癒やしだ。

私は、選挙結果など見ずに、ひたすら引っ越しに向けての断捨離。
外界に大波が来た時ほど断捨離するのは、私の性格なのか、生き物としての本能なのかわからない。
(母が亡くなった時もまったくこんなふうだった)

まあ、なるようになるのだ。
なるようになった結果は、その時代を生きる人がみんなで引き受けねばならない。
どんくさく不器用な人たちもちゃんと生きられる、生き合える、そんな世の中でありますよう。
これが今の望み。
間二日間で、父の様子が変化している。
顔色が黄色味を増した。
やはり、胆管炎が少しずつ忍び寄っているのだろう。
二度と病院へは行かないと決めているので、これから先のことは、すべて神の領域だ。
言い換えれば生き物としての寿命ということだろう。

そう合理的に思ってみても、父のあまりに細いスネや肩や背中をさすっていると、ぼたぼた涙が落ちる。

ちょうどオヤツを持ってきてくれたスタッフの女性が、ちょっとだけでもと、口に運ぶが、美味しそうなオヤツもやっと一口、水も舐めた程度。
食事も今はほとんど食べなくなってきているらしい。

そういえば、母も最後の頃には、同じだった。
ガンより餓死じゃないかと怯えたが、それも今となっては神の領域のこと、寿命だったのだと思う。

二人ともに、一切の延命処置はしないと決めていた。
どこかを切開して管を通すなど、思っただけで苦しくなる、そんなこと絶対嫌だと思った。
(以前、私が入院していた時、隣のおばあちゃんがそんな状態で泣くような声を出していたのが怖くて忘れられないのだ)

栄養も水分さえも必要としなくなったカラダは、ゼロに戻る。
生まれる前に戻る。
母を見送り、今の父を見ていると、早く私自身もゼロになりたくなる。

 さよならの時の 静かな胸
 ゼロになるからだが 耳をすませる

「いつも何度でも」の、この覚和歌子さんの言葉たちに惹かれて、その後ご縁を持った。
たくさんの生と死の歌詞を書いてもらった。

そんなことをツラツラと思い出し、ゼロになる前にもうちょっと、歌っておこうと思える。
それが生きる勇気になると、自分に言い聞かせる。
やっと届いた投票券で、すぐに期日前投票に行く。
区役所のエレベーターは列になっていて、職員さんの誘導で乗る。
今回は、すべてに時間がなかったので、みんな慌てて来たのだなあと思う。
(しかも日曜あたりは雪の可能性も)

雪といえば青森の方たちの選挙はどうなるのだろう。
身の危険との闘いを続けている住民に、選挙は何の意味があるのだろう。
冬の選挙など、絶対にすべきではないとまた思う。

小選挙区と比例と、違う党に入れる。
たかだか一票だが、考えた末の結論。
とはいえ、任期などあってない衆院、というか、政府の思惑でできる選挙なので、何だか無力感を感じる。
それでも、やれることはやらねば。

今回、途中からフェイズが変わった気がする。
「憲法改正」がその姿を現した。
その途端、ネットはざわつき、政治のことなど言ってはいけない的に思われた芸能関係の人も声を上げた。
役者さんやミュージシャンが出すメッセージは危機感に溢れ、政治はまったく遠いものではないと思わせた。

一番面白いと言ってはなんだが、なるほどなあと思わせてくれたのは、朝ドラに出ている女優さんの発言で「選挙は推し活ではない」というもの。
そういえば、最近の選挙でよく見るキラキラ団扇で押し寄せる支援者の姿は、確かにそれだった。
この違和感を、この女優さんは見事な言葉で言い表した。すごいなあ。

誰が誰を選ぶのも、自由。
自分と違う考え方はあって当たり前。
だから、フェアでなくてはならない。
選挙の闘いほどフェアが重要な闘いはない。
自分の生活、いや命さえ、その手に握れる権力を選ぶのだから、ことごとくフェアでなければならない。

そう再確認しながらも、すうすうと吹き抜けるような無力感をどうしたらいいのだろう。