新宿歌舞伎町に足を踏み入れるのは、いつ以来だろう。
今日、開かれる「みなフェス」のリハーサルに会場のフェイスに行く。

送られてきた地図ではなんとなくわかる。
でも。
地下鉄から表に出ると、よくわからない。
出た場所が悪かったのだろうが、地上に出ればなんとでもなるとタカをくくっていた自分を恥じた。

もう歌舞伎町は私の知っている歌舞伎町ではなくなっていた。
大きな建物だらけで、見覚えあるものがない。
目当てがないので、うろうろする。

それなのに、どうしたことだろう、ウキウキしてくるのだ。
カラダの底がウキウキと波立ってくるのだ。

そういえば、若い頃、この辺りでピアノの弾き語りをしていた頃も、怖いと言われる街を歩くのがなんとなく好きだった。
もう何も取り繕う必要のない人が生きている街を、アリのように歩いていると、解放にも似た感覚を持つことがあった。

どうせ、ニンゲンなんてこんなもんじゃい、な感じ。
それでもどっこい生きてるぜ、な感じ。
アブナイといえばアブナイのに、しょせん人間なんてそんなもんじゃないのかと、どこかで思っていた。

「みなフェス」のリハーサルを終え、右に行くと靖国通りですと教えられ歩いて行くと。
あ、なんだここか、とやっと今いた場所がわかった。
早慶戦の後、学生が飛び込む噴水広場とか、学校に行かず制服で通った映画館ミラノ座とかコマ劇場とかが、ぱあっと蘇ってくる。
なんだ、ここだったのか。

昔話のリップバンウィンクルや浦島太郎みたいだ、私。
胸がウズウズしてくる。
なんだ、ここじゃないか、ここじゃないか。


そして、台風に地震もやってきた今日、本番に出かけます。
雨の止み間におでかけいただければ良いのですが、決してご無理はなさらぬよう。
今日のチケット、明日にも使えれば良いですねと、主催の金さんと話しました。
どうぞご遠慮なくお問合せください。

台風も地震も、そして人間も。
やっぱりどうにもコントロールできるものではないのでしょう。
そんなことに今頃気づき、生きていることが一層愛おしくなりました。

サッカーが熱い。
野球だって熱い。
サッカーは、ワールドカップなので、すごく熱い。

こういう時、自分もスポーツ好きであったらどんなに楽しいかと思う。
サッカーなどは、おそらく誰かの影響でファンになるのだろう。
親だったり、夫だったり、友達だったり。
その人たちにルールを教えてもらい、見巧者になる。
そのあたりが、私にはすっぽり抜けている。

朝からリアルタイムで放送されたワールドカップの試合は、スウェーデンと引き分けだったらしい。
あんなに背の高い強そうなチームと引き分けるだけでもたいしたものだ。
ドーハの悲劇などがあった頃と比べると、日本は本当に強くなったのだなあと思う。

Jリーグができて、お茶の間にサッカーがやってきた頃は、どうも今ひとつ馴染みにくかった。
得点した時に、股間など押さえてクネクネしたりする動きなどに違和感があった。

その頃の選手には、何だかどこか馴染みにくい特殊な雰囲気があった。
いや、それも、こちらが初めてゆえのことかもしれない。

スポーツ選手は、テレビで見るより、実際はものすごくカッコいい。
背も高く胸板も厚く、そこに上底感はみじんもない。
靴で工夫して5センチくらい上げ底かなあという感じが、ない。
鍛えたカラダというのは、美しい。
無駄なものがなく、美しい。

国歌斉唱の時の古田さんも、歌謡番組に登場された三浦カズさんも、実物は目が覚めるほどかっこよかった。
芸能人の女性がスポーツ選手と結婚するのも無理がないと思われた。

今の選手たちを見ると、それが相撲であっても、みんなが自分をしっかり持って生きているのがわかる。
古い言い方だが、みんな現代っ子なのだ。
軽々とスマホやパソコンを操り、自分の意見を言う。
子供の頃、取り組み後のインタビューでぜいぜいはあはあううううしか聞こえなかったお相撲さんの姿は、もうない。
時代はすっかり変わり人も変わったのだ。

とりあえず、次のブラジル戦くらい、ちょこっと見てみようか。
ルールや見どころはわからなくても、きっとワクワクするに違いない。


新しいアルバムの初めに歌われているのが、「再会」。
金子由香利さんの歌唱で、有名になったシャンソンだ。

きわめてシャンソン的といえる、三分にも満たない短さの中に、主人公の年齢だとか、来し方とか、考え方とか、そんな様々なあれこれが見えてくる歌だ。

冒頭部分は本来、「あら、ボンジュール!」となっているが、このボンジュールはやめた。
この言葉が入るだけで、ある種の拒否反応が起こるだろうと思った。
「こんにちは」でいいだろう。
(作詞者の矢田部さんの息子さんにも了承いただいた)

シャンソンは好きだが「おシャンソン」と揶揄される要素はなるべく外したいといつも思っている。
日本の、いや、世界のどこにもある、ただの「人間の歌」であればいい。

で、この「再会」だが、初めてこれを聴いたレコード会社のスタッフが、「ひどい人ですねえ」というのだった。
別れた男の後方にいる奥さんを見て、素敵な人ねと言った後、私に似てるというなんて図々しいというのだった。
これじゃあ「一人で旅をして大人になったわ」なんて嘘じゃないですか、というのだった。

笑ってしまった。
本当にその通りだ。
最後に、相手の後ろ姿を見て「今でもあなたを愛している」なんて、全然成長してないよ、なのだった。

でも、これでいいのだと思う。
人は愚かなのだ。
最近、日常でも、その愚かさに笑ってしまうことが増えた。
自分も他人も、これほど人は愚かしい。

笑ってしまうと、力の入っていたカラダがすうっと楽になる。
もういいのだ、人はわからないものなのだ。
そのことがわかった。

「人生ってなんて愚かなものなの あとになってわかる」
私の大切なレパートリー、シャンソンの「わが麗しき恋物語」の一節だ。
この歌が世に出た25年近く前、作詞された覚和歌子さんも私も、まだまだ若かった。

その後の「愚かさ」について、二人でしみじみ語り合いたいなあと思ったりする。