人を送るというのは大変です、まるで戦争のようです。

母が息を引き取って霊安室に移され、すぐに引き取りの葬儀社を聞かれました。

そう、病院にはいつまでも置いてもらえないので、自宅に搬送しなければなりません。

悲しみにくれてばかりはいられません。

その場で家族会議をして葬儀社を決定し、連絡しました。

次は親族、知人への連絡。

そして、私と弟の嫁、叔母と自宅に帰り母を寝かせる部屋を作るため、先に病院を後にしました。

帰宅後、布団をひき叔母にその場を頼み、私と弟の嫁はにゃんズを連れペットホテルへ。

ペットホテルから自宅に戻ると僧侶がすでに来て読経を始めていました。

その後、葬儀社とお通夜、告別式の日程を決め、葬儀の内容についての打ち合わせ。

それが修了すると、お通夜と告別式の受付をする人の依頼

気がつくと7時を回っていました。

近くの親族も訪れ、家の中はごった返しています。

「夕飯の手配をしなくては…。」

今、家にいる人数分の食事の出前を頼み、手の空いている人から食べてもらいました。

7時半を回る頃、近所の方々がご焼香に訪れ、その対応で食事どころではありません。

私と父そして弟の嫁は、ちょうど昼食時に母が亡くなったため、12時間以上食事をとっていません。

食事を食べたのは、9時すぎだったと思います。

その晩は、私と父が母に添う予定でしたが、父もかなり疲れていたし、喪主が途中で倒れては困るので、3時過ぎに父には寝てもらい、そこから1人で母に付き添って朝を迎えました。




翌日は葬儀社がお昼に母を連れていくため、お棺に入れる品物を選らび、母の足元に置きました。

父と私は、お互い人の話を聞いていても頭に入ってこず、何度も聞くありさまです。

心に余裕なんてありません。

私は事あるごとに涙がこぼれ、泣き崩れるのを精一杯我慢しながら作業をこなしていきました。

いったん泣き崩れたら、悲しみの渦に押し流され動けなくなってしまうからです。

あっという間に午前中が過ぎ、葬儀社が母を連れて行きました。

今回は葬儀自体は、火葬場が空いてなく葬儀が5/3となりました。

本来ならその日まで家に置いておきたかったのですが、それでは腐敗の進行が早くなるとのことで、葬儀の日まで斎場の冷蔵庫のようなところで預かりますと葬儀社に言われたためです。

1時間半ほどして斎場に向かい、母との再対面。

霊安室の保冷庫の中に母はいました。

15分くらいの対面で、その日は帰宅。

私は前日からの徹夜で、もうフラフラでした。
にゃんズが気になり、ペットホテルに電話を入れると、食事を食べたのは寧々だけ。おしっこは誰もしてなく、警戒した様子とのこと。

帰宅後、3時間ほど仮眠を取り、次の日の日程を父と話合いました。



そして本日は、母が亡くなった後の役所の届け出関係を確認するため、区役所、障害者関係の役所、年金機構、銀行、母が通っていた病院への連絡など、あちこちへ電話で連絡し、必要書類の確認をしました。

普段は仕事に出ているため、手続き関係は早めに済ませなければなりません。『こちらはいいですよ』と会社側は言っても、いつまでも休んでいるわけにはいきません。

あっという間に一日が過ぎました。

今日もペットホテルに連絡し、にゃんズの様子を聞きました。
昨日よりは警戒が取れてきたとのこと
モモ以外はおしっこもし、寧々はウンチも出したとか

さすが寧々。
この子は何があっても生き残るだろうと思います。
心配なのはモモです。二日もおしっこをしてないなんて…。
早く家に連れ帰りたいです。

いよいよ明日は、母のお通夜です。

kumiko