昨夜、ドラマ「定年女子」の7話放送でした。
視聴率も高く、皆さまも楽しんでいただいているようで、本当にありがたいです。
いよいよ、来週は最終回。
続編や地上波を望んでくださっている方がとても多いと聞き、これまた感激。
本当に、ありがとうございます。

さて、そんな中、こういう話もなんなのですが、私、7話を観て、「うーん」とうなってしまいました。
私が書いたものと、演出がかけ離れてしまったときに感じる「違和感」とでもいいますか。

まずは、カットがとても多かったのですね。
つまりシーンが切られているということ。
主人公の麻子が、母が倒れたと聞き、静岡の病院へ急ぐ。
そして、その後、東京に戻り、そこで、娘におばあちゃんの様子について話し、友人の真紀と、自分たちは友達の多江が、母親の介護で悩んでいたことが、どこかで人ごとだったと反省するシーンがあったのです。
そのシーンがまるまるカット。
だから、ドラマでは、娘の葵が、おばあちゃんのことをまるで心配していないような印象を受けたりもします。

それはまあ仕方のないことで、これはドラマではよくあることです。
撮影してみたら、シーンやセリフが多すぎたというやつなのです。
脚本の時点で、だいたいの長さをはかり、それに合わせて私たちは書くのですが、実際に撮影してみたら、「あれ、長かった」という感じでしょうか。
「前もって計算できんのか!」と脚本家たちは怒ったりもするのですが……。

しかし、今回、もっともひっかかったのが、麻子が過労で倒れ、付き添う藤原丈太郎と話すシーン、あれはどうよ、と思ってしまったのですね。
私の本はもっとさっぱりと書いていたのです。
麻子はあんなに泣かないし、丈太郎も淡々と受け止めるというシーン。
まさか、丈太郎が泣くなんてショックです。
丈太郎はどんなにふざけていても、大人の男でいてもらいたかったから。

そして、ドラマは、「違和感」があってはいけないと思うのです。
視聴者の方は、麻子と丈太郎のシーンの盛り上ぶりに、「ついていけない」と感じられた方もいらしたのではないかと思います。
私のまわりはそうでした。

つまらないドラマというのは、こちらが泣くまでに盛り上がっていないのに、俳優たちが盛り上がり、泣いたりしていることを見せられることだと思います。
シラけてしまうのですね。
私は、ドラマでそういうことがないように計算して書いています。
しかし、できあがったものを観て、「ぎぇえー!」となることがよくあります。
だから、実は自分の作品を観るのがあまり好きではありません。

かつて、故・向田邦子さんは、自分の作品が映像化されたのを観て、「いくらでもお金を出すから買い取らせて!」とおっしゃったとか。
それくらい、放送されるのがいやだったのですね。
私たちにはよくわかります。

脚本家は、すべてを作ります。
状況から誰がどこで何を話すか、本当にすべてを書くのが私たちの仕事です。
しかし、それが監督やスタッフに渡り、俳優さんに渡ると、もう口が出せないのですね。
この寂しさはもうなんとも言えません。

ああ、だらだらと書いてごめんなさい。
昨夜の放送を観て、思わず愚痴ってしまいました!
ただ、もちろん、監督の言い分もあるでしょう。
今度、訊いてみます。

気分を入れ替えて──
最終回放送を前に、明日発売の「女性自身」に、私の記事が出ています。
ドラマについて語っています。
よかったら立ち読みでもしてみてください。
サイトからも読めるのかな?
以下からお入りくださいませ。


では、最後に、カットされたシーンを──
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