欧州旅行記。その4「初日~後編その1」 | 台湾娘とランデブー(仮)

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フロリダ大学に留学してChemistry-Ph.D取得を目指す迷える子羊の奮闘記。
近況報告、日々の小ネタ、趣味の話を中心にマイペースに更新していきます。
タイトルの(仮)がなくなる日は来るのだろうか!?

ああああああ!いやああああああ!!ぐああああああ!!!
・・・すいません、取り乱しました。

最低1週間に1度は更新と言った矢先に1週間以上更新しないとか。
3日坊主にも鼻で笑われるほどの茶番じゃないすか。
でもあれか、3日坊主は自分の約束も3日間しかちゃんと守らないから、結局1週間以内に更新って約束は守れない可能性が高い・・・のか?

などと、大変くだらないことを考えつつ、やっとこさの更新でございます。
最近は正直バカ忙しいというほどでもなかったんですが、日曜に我が家で昼食会を開催してしまったこと、先週末提出期限の宿題が重かったこと、シリーズもののアニメに幾つかハマって観まくってしまったこと等、色々と要因が重なりまして。
ま、ご察しの通り、最後の理由が9割方なんですけどね汗。

テレビアニメは専門外だったんですが、一話20分強という手軽さと12話程度で完結する短編ならではのスピード感も手伝ってハマりそうです。
その辺のマニアックなお話はまた後日。今日は、いい加減に企画倒れ感が拭えなくなってきた欧州旅行記を少しでも進めます。
俺は!まだ諦めない!というわけで、今回は「初日~後編」でございます。

当然ながら、前編→中編→後編と来ればこれで完結するはずですが、一度に更新するには長くなり過ぎてしまい、結局苦渋の決断で、これを「後編その1」とすることにしました。
その代わりと言ってはなんですが、「後編その2」は明後日にでもそそくさと更新することにいたします。
話途中で急に終わってるのはそういう事情なんで、どうかご了承ください。

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ワジェンキ公園を出ると、marszałka Józefa Piłsudskiego(ユゼフ・ピウスツキ元帥)の威厳に満ちた彫像が、その鋭い眼光をこちらに向けていた。
ポーランド建国の父、初代国家元首にしてポーランド軍初代元帥。シモンさん曰く、ポーランドで最も高名な政治家だと言う。

台湾娘とランデブー(仮)-Warsaw1st_pilsudski

その像の背後には、公園と寄り添う形でPałac Belwederski(ベルヴェデル宮殿)がひっそりと佇んでいる。
シモンさんの説明によれば、ここは大統領の住居らしいが、現在は夏季休暇中なのだろうか、人気が全く感じられない。
名前の由来は、ワジェンキ公園内にあった高級レストランBelvedereと同じと考えて良いだろう。

台湾娘とランデブー(仮)-Warsaw1st_belwederski

行きに通ったAleje Ujazdowskie(ウヤズドフスキェ大通り)に再度合流、そのまま北上すると、左手に途方もなく巨大な建物が姿を現した。
巨大と言っても背丈が高いわけではなく、横に長いのだ。一度に全貌を見渡せないほど、南北に長く伸びているこの建物は、首相のオフィスらしい。

台湾娘とランデブー(仮)-Warsaw1st_prime-minister-office

と言っても、Centralne Biuro Antykorupcyjne、通称CBAと呼ばれる政治汚職を取り締まる省庁の建物が隣接していて、正確にどこまでがオフィスなのかは判然としなかったが。
シモンさん曰く、普段なら建物の周囲はメディアの取材や要人の往来でごった返すらしいが、現在は誰も彼も夏季休暇中なので静まり返っていた。

Aleja Armii Ludowej(アルミイ・ルドヴェイ通り)との巨大な立体交差点まで戻ってくると、交差点の一角に夕陽に染まった彫像を発見。
この人物の名前はRoman Dmowski(ロマン・ドモフスキ)。国民連盟、後の国民民主党を指揮してポーランド独立のために戦った独立派だ。

台湾娘とランデブー(仮)-Warsaw1st_dmowski

革命によるロシアからの独立を目指した先述のピウスツキに対し、ドモフスキはあくまでロシアの弱体化による自治権獲得を目指す現実主義路線を貫いたとのこと。
犬猿の仲であった両者が、大統領邸宅や首相のオフィスと一緒に、わずかに距離をおいて同じ通り沿いに立ち並ぶ様は、この国のくぐり抜けてきた苦難の歴史を思わせる。

せっかくなので、行きに歩いてきたPiękna通りに入らず、そのままウヤズドフスキェ大通りを直進する。
すぐに右手に見えてきた建物には、Związek Kombatantów RPiBWPという文字が刻まれていたのだが、どうやら退役軍人や元政治犯といった人々のための組織の本部らしい。

台湾娘とランデブー(仮)-Warsaw1st_rpibwp

そのまま直進すると、幾多の大使館に混じって、あの誰もが知る米国大統領、Ronald Reagan(ロナルド・レーガン)の彫像を発見。
レーガン大統領は1980年代前半、戒厳令下のポーランドで活動した政治改革組織"Solidarność"(日本語で「連帯」)を支援し、ポーランドの民主化、共産主義の終結に多大な貢献をしたのだと言う。

台湾娘とランデブー(仮)-Warsaw1st_reagan

結局、大通りが尽きる場所まで北上し続けると、僕の宿泊するシェラトンの真正面に出た。
ポーランド到着以来ずっと歩き通しで脚がパンパンだったし、ワジェンキ公園の土産屋で買った品々もあったので、ひとまずホテルに戻って小休止。

8/9 6pm
ホテルの冷蔵庫にあったレッドブルでエナジー注入後、日本から合流する今回の僕の旅仲間を迎えに、本日二度目の空港へ。
僕が以前在籍した研究室で大変お世話になった助教の先生の一家で、先生の奥様とは結婚式でお会いして以来、1歳半になる女の子とは初対面だ。

空港へ向かうと行っても便の到着は午後10時過ぎ。まだ4時間以上もあったので、ひとまず時間の許す限り、駅へ向かいがてら観光の続きをすることに。
Ulica Nowy Świat(ノヴィ・スフィアト通り)、通称「新世界通り」を北上する。

台湾娘とランデブー(仮)-Warsaw1st_nowy-swiat

通りの両脇には銀行や企業の建物が立ち並び、我らが日本の誇るRICOHのビルの前には、フランスの空港の名前でもお馴染みの軍人Charles de Gaulle(シャルル・ド・ゴール)の彫像が。

台湾娘とランデブー(仮)-Warsaw1st_ricoh

台湾娘とランデブー(仮)-Warsaw1st_cdg

ド・ゴールは第一次、第二次世界大戦で活躍したフランスの英雄だが、第一次世界大戦後にポーランドの軍事顧問を務めていた時期があるらしい。
ロシア革命を進めた当時のソ連の侵攻からワルシャワを守り、その功績を讃えられてポーランド軍少佐の地位等を与えられたとのこと。

トラムと呼ばれる路面電車が走る道を渡り、本格的に新世界通りへ入ると、数え切れぬほどのレストランやバル、それらの屋台が立ち並んでいた。
しかも、ちょうど夕食時ということもあって、沢山の人で賑わっている。

台湾娘とランデブー(仮)-Warsaw1st_nowy-swiat-restaurant

レストランの一帯を超えて北上を続けると、急に視界が開けた。
広場の中央には、如何にも聡明そうな男性が、右手にコンパス、左手に天球儀を持って鎮座している。
この人物こそ、ショパンと双璧を成すポーランド出身の著名人、地動説を提唱した天文学者Nicolaus Copernicus(ニコラウス・コペルニクス)に他ならない。

台湾娘とランデブー(仮)-Warsaw1st_copernicus

コペルニクス像の背景に厳然と建つのは、Pałac Staszica(スタシツ宮殿)。
啓蒙思想家 Stanisław Staszic(スタニスワフ・スタシツ)の名を冠したこの建造物は、現在、彼が創立に携わったPolish Academy of Sciences(ポーランド科学アカデミー)の当局事務所、記録保管庫として機能していると言う。
ちなみに、コペルニクス像自体もスタシツの提案によって作られたらしい。

台湾娘とランデブー(仮)-Warsaw1st_copernicus+academy

その直ぐ手前には、十字架を背負ったキリスト像が印象的な17世紀末建造のKościółśw. Krzyża(聖十字架教会)と、本都市で最初に創立された大学であるUniwersytet Warszawski(ワルシャワ大学)が、相対して建っている。

台湾娘とランデブー(仮)-Warsaw1st_holy-cross-church

台湾娘とランデブー(仮)-Warsaw1st_warsaw-univ02

ワルシャワ大学の正門手前では、何やら怪しげな若者の集団が大声で盛り上がっていた。
観衆も集まっていたが、思えば現在は夏休み期間の真っ只中。差し詰め、サークルか何かの悪ふざけだろう。

台湾娘とランデブー(仮)-Warsaw1st_warsaw-univ01

→→→後編その2へ続く。