台湾娘とランデブー(仮)

台湾娘とランデブー(仮)

フロリダ大学に留学してChemistry-Ph.D取得を目指す迷える子羊の奮闘記。
近況報告、日々の小ネタ、趣味の話を中心にマイペースに更新していきます。
タイトルの(仮)がなくなる日は来るのだろうか!?

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元気ですかー!いくぞー!ダーァッッッ!!←はしょり過ぎ
というわけで、週末も元気にラボで実験いそいそ。
とは言え、策を巡らせど何か良いものが出来そうな気配はなし。
そろそろリガンド変えどきかな・・・僕なんだか眠いよパトラッシュ・・・←はしょり過ぎ(再)。と言うか正確な台詞忘れましたw

戯言はこの辺にして、今日こそは欧州旅行記の続き更新しまっせ。
ようやく初日が終わります。ここまでで5回使うとは・・・先が思いやられますな。
ま、また週末までに頑張って更新できるよう努力はします。期待はしないで!
ではではー。

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前回までのあらすじ。今晩に空港へ到着予定の旅仲間の先生ご一行from日本を迎えに、夕方過ぎにホテルを出発。
シモンさんと2人、徒歩で新世界通りを北上しながら駅へと向かう。

新古典様式のファサードが印象的なKościół Wniebowzięcia NMP i św. Józefa Oblubieńca(聖母の被昇天と聖ヨゼフ教会)の手前で、新世界通りを左に折れた。

台湾娘とランデブー(仮)-Warsaw1st_nmp-josef

市内中心部、Sofitel Victoria Warsaw(ソフィテル・ヴィクトリア・ワルシャワ・ホテル)の豪勢な正面玄関を横目に通過する。

台湾娘とランデブー(仮)-Warsaw1st_sofitel-victoria

右手に現れたのは、The Saxon Gardenの名前でも知られるOgród Saski(サスキ公園)だ。
早速、美しい装飾と取り囲む赤い花々が印象的な巨大噴水に迎えられる。
カップルの待ち合わせ場所としても有名な場所と言うが、それも納得できる。

台湾娘とランデブー(仮)-Warsaw1st_saski

この公園は、元々Pałac Saski(サスキ宮殿)に付属する庭園だったが、宮殿は第二次大戦中にナチス・ドイツ軍に占拠されて司令部となり、戦後破壊されてしまったとのこと。
第一次大戦で国のために命を捧げた名もなき戦士たちを弔うべく建てられたGrób Nieznanego Żołnierza(Tomb of the Unknown、無名戦士の墓)のみ、戦後すぐに修復されたらしい。
しかし現在、サスキ宮殿そのものを再建する大掛かりな工事が進行中らしく、無名戦士の墓も含めて宮殿跡地は立ち入り禁止となっていた。

台湾娘とランデブー(仮)-Warsaw1st_tomb-of-the-unknown

公園内をゆっくりと散策していると日も落ちてきたので、駅の近くへ移動して夕飯を食べることに。
近辺のレストランを幾つか吟味するも、やっぱりポーランド料理をもっと食べたい!ということで、お洒落な喫茶店風のレストランLoftへ。

台湾娘とランデブー(仮)-Warsaw1st_loft

もう夕飯だから、ということでシモンさんと共に、僕もポーランドで初めてのアルコールを解禁することに。
お勧めを聞きつつ色々考えた結果、ドラフトビールの銘柄Kasztelan(カステラン)を試すことにした。

台湾娘とランデブー(仮)-Warsaw1st_loft-beer

ポーランドでも有名なデンマーク生まれのビール醸造会社Carlsbergの誇る銘柄で、加熱処理されていないドラフトビールらしいクリアな味わいが際立っていて大変美味!
ちなみにシモンさんは、ポーランド国内の醸造会社CiechanのMiodowe(蜂蜜ビール)を注文。
蜂蜜ビール自体はポーランドでは比較的ポピュラーであるが、この銘柄を飲める場所は多くないらしく、僕も飲ませてもらったがオーガニックな蜂蜜の深い味わいに大変感激した。

台湾娘とランデブー(仮)-Warsaw1st_ciechan

昼食同様、メニューを逐一シモンさんに解説してもらい、今回は昼に選ばなかった典型的なポーランド伝統料理ということで、Dumplings(ダンプリング)とZurek(ジューレック)を注文。
ダンプリングとは一言で言えば餃子のことで、今回注文したのはPierogi Ruskie(ピエロギ・ルスキェ)というピエロギのロシアン・スタイル。
ロシア料理として有名な水餃子風のpelmeni(ペリメニ)に近いが、ピエロギ・ルスキェは具材としてcurd(カッテージ・チーズ)とじゃがいもを使っている。

台湾娘とランデブー(仮)-Warsaw1st_pierogi-ruskie

今回、水餃子風の茹でたものと焼餃子風の揚げたものが選べたが、ここはシモンさんの勧めで揚げたタイプを選択した。
ベーコンとミニトマト、ブロッコリー・スプラウトが添えられており、ソースはかかっていない。
サクッとした皮に包まれた中には、ホクホクのじゃがいもと爽やかなチーズが詰まっており、味も食感も申し分なかった。

続いて運ばれてきたジューレックは、ポーランドで最もポピュラーなスープ。
適切な英語訳がないらしく、英語メニューにはPolish-style sour rye soup等と表記されていたが、まさにその通り、ライ麦をぬるま湯で発酵させて作るらしい。
乳酸菌飲料ならぬ麦芽酵母菌スープとでも言うべきものだから、当然sour、即ち酸っぱい。

台湾娘とランデブー(仮)-Warsaw1st_zurek

ソーセージとゆで卵と一緒に煮込まれたスープは、酸っぱいと言っても、大量に浮かんでいるマジョラムの香り同様、とても優しい味わいだ。
一緒にパンが出され、バゲット風にスープに浸して食べるのだが、これがまた素晴らしい。
この夕食で、昼食で感じていたポーランド料理の美味しさを再認識すると同時に、今まで知りもしなかったポーランド・ビールのうまさを知ることとなった。

しかし、そんな至福の夕食タイムを満喫中、俄かに外が騒がしくなってきたので目をやると、雷鳴と共に滝のような豪雨が降ってきていた。
あまりの勢いに、暫くすれば弱まるだろうとレストラン内での時間潰しを決め込んだが、止む気配がないまま飛行機の到着時間が迫ってくる。
やむなく強行突破を決め込んで、小刻みに雨宿りしながら駅までダッシュ。

ずぶ濡れとまでは行かずとも、髪から水が滴るくらいはしっかり濡れつつ、本日二度目のŚródmieście駅構内へ。
空港行きの最終から一本前、貸し切り状態のがらがらな電車で再び空港へ舞い戻った。
この車中、電車内にチケットを切るための自動機が置かれていることに気付いた我々は、同時に行きの電車をただ乗りしてしまっていたことを知るのだったが、言い換えれば車掌のいない電車ならただ乗りし放題ということか。

台湾娘とランデブー(仮)-Warsaw1st_st-exit

そんな疑問を払拭しきれぬまま、再び駅から空港まで雨の中を疾走。一瞬乾いたのも束の間、再びしっぽり濡れてしまった。
気を取り直して空港の国際便出口で先生一家の到着を待つも、待てど暮らせど現れない。飛行機はとっくに到着しているはずだが。。。
待つこと約1時間、これはもしかして何かあったのかな?と思い始めた頃、ようやく先生とその奥さん、小さい娘さんが姿を現した。

台湾娘とランデブー(仮)-Warsaw1st_airport-exit

ひと安心したのも束の間、再会を喜ぶ間もなく先生から衝撃の報告が。なんとスーツケースを一つ、ロスト・バゲージしたとのこと。
しかも、その中には先生の衣服は勿論、今回の旅行で再会する人達へのお土産なども入っていたらしく、これには流石に先生も落ち込んでいた。
まぁ話題に事欠かないと言うか、悪い意味で「持ってる」エピソードだなぁという感じもするのだが、海外渡航時には本当に大事なものはスーツケースでなく手荷物で持参すべしという良い教訓になった。

予定より合流が大幅に遅れて、電車は勿論のこと最終バスも終わってしまったため、空港からタクシーでシェラトン・ホテルまで向かう。
ホテルへ着いたときには日付が変わっており、僕はシモンさんとのブートキャンプで、先生は長旅とロスト・バゲージで疲労困憊していたため、シェラトンのバーで飲んだくれることもなく就寝したのだった。
おい時間!アンタ、経つの早過ぎちゃいまっか!
このままやと、アッちゅう間にお陀仏やないかい!
と思わず似非関西弁が飛び出す勢いで、絶賛タイムリープ中の僕です。

「欧州旅行記」の今回分の文章はもう出来てたのに、画像のアップロードすらやる時間がなくて、結局週末を待つ羽目になってしまいました。
いやぁ今週は酷かった。火曜は夜に日本人会の幹事ミーティング、水曜は恒例の6時間ラボTA、木曜は丸一日+徹夜で金曜提出の課題、そして今日は徹夜からの日本人会の秋の交流会開催のための場所予約+グループ・ミーティング+3時間ラボTA。
雑用に忙殺されながらも研究は遅々として進まず、という最悪の一週間でした。

そう言えば、去る今週水曜日にはAKB48じゃんけん大会もありましたね。
ネットで全世界生放送があれば、この地獄スケジュールでも強行観戦してやろうという意気込みでしたが、結局はフジテレビとBS放送の中継のみで敢えなく断念いたしました。
第4回目となる今回の優勝者は、SKE48を牽引するW松井の一角で、AKB48とも兼任中の16歳の若きエース松井珠理奈。

当時小学6年生ながら「10年に1人の逸材」と秋元康プロデューサーに太鼓判を押され、SKE48一期生オーディションに合格して間もなく、絶対的センターの前田敦子と共にAKB48のシングル『大声ダイヤモンド』でのWセンターに抜擢された彼女。
先日の第5回AKB48選抜総選挙では堂々の第6位にランクイン、第7位にランクインした松井玲奈と共に地方グループのSKE48からAKB48の神セブン崩しを果たしました。
前々回優勝者の篠田麻里子、前回優勝者の島崎遙香に続いて、秋元康や運営サイドの一推しメンバーが優勝したこと、また全てパーを出して優勝したことから、もはや様式美と化した感のある恒例の八百長騒動も噴出しています。

台湾娘とランデブー(仮)-松井珠理奈01
↑到底16歳には見えない大人びたルックス、口角の上がったキュートなアヒル口、身体がバラバラになりそうなほどの激しいダンスが印象的な、SKE48の誇る超逸材にして新世代組の筆頭格、松井珠理奈。

僕個人は、プロレスを八百長などと言う無粋な輩など相手にする気もないし、今回の結果が八百長か、八百長もどきか、完全に公正だったか、そこにはあまり興味がありません。
ただ正直な感想を言えば、第一回優勝者の内田眞由美のように、全く無名のメンバーやある程度知名度はあるけど絶対にセンターには選ばれることがないだろうメンバーが優勝してくれた方が面白かったなとは思いました。
あと秋元氏のコメントで「(珠理奈は)神様が指している人」というのを見て、自分の一推しメンバーのことを神様も推しているという言い方が、何か「ほら、俺は見る目があるだろう」とか、もっと言えば「俺は神様だ」と言っているようで大変不快と言うか、気持ち悪かったです。

ただ秋元氏の寵愛する珠理奈だけに、秋元氏も本気で作詞するだろうし会心の楽曲を宛がってくると思うので、そこには期待したいところ。
珠理奈はルックス、パフォーマンス、度胸どれをとっても申し分なく、センターの素質があるし本人もセンターをやる気満々なメンバーなので、今回のセンターも立派に務め上げるでしょう。
秋元氏の先の発言を支持するのは些か抵抗がありますが、確かに絶好調時の松井珠理奈のパフォーマンスが比肩し得る者がいないほどの輝きとエネルギーに満ち溢れているのは、僕も無条件で賛同せざるを得ません。

ただ彼女は精神的に脆いところがあり、精神的なストレスが直ぐに体調に出てしまうので、歌番組等で披露する際に彼女のコンディションを最高潮に持って行けるかどうかが、成功のカギを握っていると言えます。
体調不良で歌番組収録に出られないということになればセンター不在で楽曲の趣旨そのものが崩壊しかねないし、また弱冠16歳ということで、夜遅くの歌番組等で披露する際にはセンターに代役を立てる必要が出てくるとも思われ、その辺にどう対処して行くのかも注目です。
少し前までは、珠理奈を精神的に大いに支えていた姉御肌の篠田麻里子がグループにいたので安心感があったものの、彼女が卒業してしまったことで珠理奈が心の拠り所を失っていないか、そこも心配です。

すいません、ちょっと余計に喋り過ぎましたね。なんか旅行記を始める空気でもなくなってしまった感が否めませんな汗。
旅行記は明日更新にして、今日は息抜き程度にこれで終了にしましょうか。
徹夜で疲弊感が凄いので、さっさと鯖缶を肴にビールを煽って寝たいのです笑。

もう狼少年なので何を言っても無駄ですが、明日こそしっかり旅行記更新します。
最後に、松井珠理奈のじゃんけん大会優勝を祝して、彼女の魅力が詰まったS2nd「手をつなぎながら」公演のユニット曲"Glory Days"を紹介します。
約2年前の映像であり、現在に比べるとあどけなさが残りますが、珠理奈のキレッキレのダンスとセンター相性の良さが一目瞭然な一曲です。

脇を固めるメンバーも、既に卒業してしまった一期生のダンス番長である桑原みずき、現在SKE48キャプテンに就任した一期生の中西優香と猛者揃い。
ダンスのキレの良さや揃い方から、AKB48とは異なる文化圏のグループであることがよく分かりますが、そんな特異性が育まれて行ったのはSKE48の顔となった珠理奈がダンスを得意としていたことと無関係ではないはず。
突き抜けるようにポジティブな楽曲が溌剌とした珠理奈の魅力を増幅させていますが、続くS3rd「制服の芽」公演の珠理奈センターのユニット曲"思い出以上"は、打って変わって少しダークでミステリアスな大人びた曲調なので、興味を持った方はそちらもチェックしてみてください。

▽【live】SKE48(松井珠理奈・桑原みずき・中西優香) - Glory Days
ああああああ!いやああああああ!!ぐああああああ!!!
・・・すいません、取り乱しました。

最低1週間に1度は更新と言った矢先に1週間以上更新しないとか。
3日坊主にも鼻で笑われるほどの茶番じゃないすか。
でもあれか、3日坊主は自分の約束も3日間しかちゃんと守らないから、結局1週間以内に更新って約束は守れない可能性が高い・・・のか?

などと、大変くだらないことを考えつつ、やっとこさの更新でございます。
最近は正直バカ忙しいというほどでもなかったんですが、日曜に我が家で昼食会を開催してしまったこと、先週末提出期限の宿題が重かったこと、シリーズもののアニメに幾つかハマって観まくってしまったこと等、色々と要因が重なりまして。
ま、ご察しの通り、最後の理由が9割方なんですけどね汗。

テレビアニメは専門外だったんですが、一話20分強という手軽さと12話程度で完結する短編ならではのスピード感も手伝ってハマりそうです。
その辺のマニアックなお話はまた後日。今日は、いい加減に企画倒れ感が拭えなくなってきた欧州旅行記を少しでも進めます。
俺は!まだ諦めない!というわけで、今回は「初日~後編」でございます。

当然ながら、前編→中編→後編と来ればこれで完結するはずですが、一度に更新するには長くなり過ぎてしまい、結局苦渋の決断で、これを「後編その1」とすることにしました。
その代わりと言ってはなんですが、「後編その2」は明後日にでもそそくさと更新することにいたします。
話途中で急に終わってるのはそういう事情なんで、どうかご了承ください。

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ワジェンキ公園を出ると、marszałka Józefa Piłsudskiego(ユゼフ・ピウスツキ元帥)の威厳に満ちた彫像が、その鋭い眼光をこちらに向けていた。
ポーランド建国の父、初代国家元首にしてポーランド軍初代元帥。シモンさん曰く、ポーランドで最も高名な政治家だと言う。

台湾娘とランデブー(仮)-Warsaw1st_pilsudski

その像の背後には、公園と寄り添う形でPałac Belwederski(ベルヴェデル宮殿)がひっそりと佇んでいる。
シモンさんの説明によれば、ここは大統領の住居らしいが、現在は夏季休暇中なのだろうか、人気が全く感じられない。
名前の由来は、ワジェンキ公園内にあった高級レストランBelvedereと同じと考えて良いだろう。

台湾娘とランデブー(仮)-Warsaw1st_belwederski

行きに通ったAleje Ujazdowskie(ウヤズドフスキェ大通り)に再度合流、そのまま北上すると、左手に途方もなく巨大な建物が姿を現した。
巨大と言っても背丈が高いわけではなく、横に長いのだ。一度に全貌を見渡せないほど、南北に長く伸びているこの建物は、首相のオフィスらしい。

台湾娘とランデブー(仮)-Warsaw1st_prime-minister-office

と言っても、Centralne Biuro Antykorupcyjne、通称CBAと呼ばれる政治汚職を取り締まる省庁の建物が隣接していて、正確にどこまでがオフィスなのかは判然としなかったが。
シモンさん曰く、普段なら建物の周囲はメディアの取材や要人の往来でごった返すらしいが、現在は誰も彼も夏季休暇中なので静まり返っていた。

Aleja Armii Ludowej(アルミイ・ルドヴェイ通り)との巨大な立体交差点まで戻ってくると、交差点の一角に夕陽に染まった彫像を発見。
この人物の名前はRoman Dmowski(ロマン・ドモフスキ)。国民連盟、後の国民民主党を指揮してポーランド独立のために戦った独立派だ。

台湾娘とランデブー(仮)-Warsaw1st_dmowski

革命によるロシアからの独立を目指した先述のピウスツキに対し、ドモフスキはあくまでロシアの弱体化による自治権獲得を目指す現実主義路線を貫いたとのこと。
犬猿の仲であった両者が、大統領邸宅や首相のオフィスと一緒に、わずかに距離をおいて同じ通り沿いに立ち並ぶ様は、この国のくぐり抜けてきた苦難の歴史を思わせる。

せっかくなので、行きに歩いてきたPiękna通りに入らず、そのままウヤズドフスキェ大通りを直進する。
すぐに右手に見えてきた建物には、Związek Kombatantów RPiBWPという文字が刻まれていたのだが、どうやら退役軍人や元政治犯といった人々のための組織の本部らしい。

台湾娘とランデブー(仮)-Warsaw1st_rpibwp

そのまま直進すると、幾多の大使館に混じって、あの誰もが知る米国大統領、Ronald Reagan(ロナルド・レーガン)の彫像を発見。
レーガン大統領は1980年代前半、戒厳令下のポーランドで活動した政治改革組織"Solidarność"(日本語で「連帯」)を支援し、ポーランドの民主化、共産主義の終結に多大な貢献をしたのだと言う。

台湾娘とランデブー(仮)-Warsaw1st_reagan

結局、大通りが尽きる場所まで北上し続けると、僕の宿泊するシェラトンの真正面に出た。
ポーランド到着以来ずっと歩き通しで脚がパンパンだったし、ワジェンキ公園の土産屋で買った品々もあったので、ひとまずホテルに戻って小休止。

8/9 6pm
ホテルの冷蔵庫にあったレッドブルでエナジー注入後、日本から合流する今回の僕の旅仲間を迎えに、本日二度目の空港へ。
僕が以前在籍した研究室で大変お世話になった助教の先生の一家で、先生の奥様とは結婚式でお会いして以来、1歳半になる女の子とは初対面だ。

空港へ向かうと行っても便の到着は午後10時過ぎ。まだ4時間以上もあったので、ひとまず時間の許す限り、駅へ向かいがてら観光の続きをすることに。
Ulica Nowy Świat(ノヴィ・スフィアト通り)、通称「新世界通り」を北上する。

台湾娘とランデブー(仮)-Warsaw1st_nowy-swiat

通りの両脇には銀行や企業の建物が立ち並び、我らが日本の誇るRICOHのビルの前には、フランスの空港の名前でもお馴染みの軍人Charles de Gaulle(シャルル・ド・ゴール)の彫像が。

台湾娘とランデブー(仮)-Warsaw1st_ricoh

台湾娘とランデブー(仮)-Warsaw1st_cdg

ド・ゴールは第一次、第二次世界大戦で活躍したフランスの英雄だが、第一次世界大戦後にポーランドの軍事顧問を務めていた時期があるらしい。
ロシア革命を進めた当時のソ連の侵攻からワルシャワを守り、その功績を讃えられてポーランド軍少佐の地位等を与えられたとのこと。

トラムと呼ばれる路面電車が走る道を渡り、本格的に新世界通りへ入ると、数え切れぬほどのレストランやバル、それらの屋台が立ち並んでいた。
しかも、ちょうど夕食時ということもあって、沢山の人で賑わっている。

台湾娘とランデブー(仮)-Warsaw1st_nowy-swiat-restaurant

レストランの一帯を超えて北上を続けると、急に視界が開けた。
広場の中央には、如何にも聡明そうな男性が、右手にコンパス、左手に天球儀を持って鎮座している。
この人物こそ、ショパンと双璧を成すポーランド出身の著名人、地動説を提唱した天文学者Nicolaus Copernicus(ニコラウス・コペルニクス)に他ならない。

台湾娘とランデブー(仮)-Warsaw1st_copernicus

コペルニクス像の背景に厳然と建つのは、Pałac Staszica(スタシツ宮殿)。
啓蒙思想家 Stanisław Staszic(スタニスワフ・スタシツ)の名を冠したこの建造物は、現在、彼が創立に携わったPolish Academy of Sciences(ポーランド科学アカデミー)の当局事務所、記録保管庫として機能していると言う。
ちなみに、コペルニクス像自体もスタシツの提案によって作られたらしい。

台湾娘とランデブー(仮)-Warsaw1st_copernicus+academy

その直ぐ手前には、十字架を背負ったキリスト像が印象的な17世紀末建造のKościółśw. Krzyża(聖十字架教会)と、本都市で最初に創立された大学であるUniwersytet Warszawski(ワルシャワ大学)が、相対して建っている。

台湾娘とランデブー(仮)-Warsaw1st_holy-cross-church

台湾娘とランデブー(仮)-Warsaw1st_warsaw-univ02

ワルシャワ大学の正門手前では、何やら怪しげな若者の集団が大声で盛り上がっていた。
観衆も集まっていたが、思えば現在は夏休み期間の真っ只中。差し詰め、サークルか何かの悪ふざけだろう。

台湾娘とランデブー(仮)-Warsaw1st_warsaw-univ01

→→→後編その2へ続く。