どうもこんばんは、タクミです。

今日は故あってスマートフォンからの投稿なので些か誤字脱字等あるかと思いますがご容赦下さい。
 
時として人付き合いというものは必要を生じるものですね。それは昔からの友人然り、家族しかり、会社の同僚しかり。
 
望むと望まざるとに関係なく突然目の前に出てくるものなので面食らってしまう事もしばしば。
勿論有益な人間関係であればそこには積極性も働こうというものですが、そうでないケースも年に応じて出てくるものだったりします。
 
かくいう本日も、望む望まざるは別として、必要に迫られた故の帰宅の遅さ。妻に対して頭が下がるばかりの想いです。
 
さて、こういった機会というものは幼少時にはなかなか生じ得ないモノですが、どうも一定の加齢とともに必要に迫られるものなので困りますね。
 
自身の意図とは全く別に、ただそこに生まれ出づる関係なもので制御が効かないという点がなお困り者だったりするものです。
 
さて、本日はそんな事柄に絡めて歳を取る、即ち加齢のお話でも一つ。
 
人は産まれ出づるその前より既に加齢している。
それは等しく、赤子であれど老人であれど。
 
自身が望むか否かに関わらず細胞は成長し、やがて劣化していくものです。
自身がある程度の年齢になった時に、親の加齢を具に感じた方も多いのではないでしょうか。
 
人間は、もっと言うと生物(せいぶつ)はどうにも抗いがたい寿命に縛られていますね。
自身しかり、両親しかり、愛してやまないペットしかり。
自分の意図とは別に、いつのまにか老い、その不安に怯える頃には永遠の眠りにつくものです。
 
自身が30を過ぎた頃からでしょうか。
そんな想いは日々頭の片隅にあり、この歳にして自身の、あるいは配偶者の、あるいは両親の残生に想いを馳せる事もしばしばございます。
 
それこそどれだけ憂おうが変わるものではありませんが、それは常に一抹の不安を頭に残し人生を苛むのです。
 
どうにもこの死への不安というものには抗い難く、おそらく人間と名のつく生物の誰しもが感じ得る、もしくは既に感じているものなのだと思います。
 
どうにも駄文が多い本日ですが、僕はこの解消法を見つけたいのです。
歳を重ねればそれだけ周囲も歳を重ねるもの。
ではどうしたら乗り越えられるものなのでしょうか。
 
ぼくはその問いに対して、幼少時よりの解を一つだけ持っています。
 
ずばり、相対化するということ。
人は自分にだけ降りかかる、もしくは降りかかっていると感じる不幸に滅法弱いものです。
 
僕だけ不幸
私だけ不幸
 
きっと、僕の周りにも私の周りにも不幸は星の数ほどあり、それを自分だけのものと感じているからこそこの上ない不幸になるのです。
 
あなたの不幸はきっとそこらに転がる程度の一欠片です。自分ばかりと嘆く必要はきっとありません。
 
ただ忘れて欲しくないのは、不幸を感じた時にその不幸を肯定はしても否定はしないことです。
不幸と感じたあなたの心は世界の何よりもあなたに正しいもの。その想いを受け入れた上で、自分の不幸を相対化して乗り越えられれば、それはきっと糧になる不幸の味わい方なのではないでしょうか。
 
本日はスマートフォンからの投稿故、写真がないことをご容赦くださいね。発車の遅れる終電で、自身の不幸を嘆きながらの投稿でした。
 
ではまた明日。おやすみなさいませ。
 

==============================================================

ロゴ作ったり名刺作ったりしています。

興味ある方はお問合せいただければとてもうれしいです。

https://coconala.com/services/872311?ref=top_browsing_history

 

こんなロゴを作っています。

==============================================================