【マイシェフと私との関係】 下差し

2006年頃に寿司屋寿司の山田大将が私に一目ぼれをしてびっくり。。。(お互いシングル同士)

(歳の差、9歳)

今のシェフ店の前店

でも、山田大将とは恋人でもなく。。。

初めて食事に誘われて行った時に、普通は何か告白があるものなんでしょうが。

殆ど私達はお互いのことを知らないのに、突然、私に寿司屋のお店の鍵と自宅の大事な鍵カギを私に渡して、

「俺に何かあった時には頼む!」と言われるは、

自宅に連れて行かれて、大事な物が置いてある場所まで教えてくれて。

初めて一緒に食事に行って、そんなこと言う人普通じゃないですよね。

 

とにかく、口は悪いし、人の好き嫌いは激しいですが、私には尽くしてくれる方でした。

掃除好きな山田大将は、私の家の掃除までしてくれて、山田大将が亡くなるまで約10年間、私は自宅の掃除をすることがありませんでした爆  笑

それこそ「私の家政婦、山田さん!」です(笑)

その代わり、思い切り仕事や剣道に打ち込ませて頂きました。

山田大将から私へのkumiちゃんが気持ち良く過ごせるようにとの配慮でした。

 

 

その後、2013年にシェフが山田大将の店の近くに勤務してきて、お互いのお店を行き合うようになり、

休みの日には大将・シェフ・私の3人や他の仲間も含めてよく飲みに行くようになりました。

シェフは、大将のことを「師匠」と呼んで慕っていました。

山田大将は、シェフのことをシェフと呼んでいたので、私からの呼び方もそうなっています。

 

その後、2019年に山田大将の癌がみつかってから、余命半年と言われガーン

山田大将の寿司屋寿司の店を、「シェフ、お前が継げ!」と言い残し、余命宣告からほぼ半年後の

大将とシェフは引継ぎをしようとしていたその日に、山田大将はあちらに逝かれてしまいましたショボーン

亡くなる3日前までお店に立ち、カウンター10席が満席の日が最後の営業日となりました。

壮絶な職人魂でした。

 

山田さんの故郷の親戚の方もいらしたけど、東京に出てきて50年も働いている山田大将の葬儀をするには

親戚の者たちでは手を付けられないと言われ、結局、私が山田大将のお店の仲間と共に、山田大将の葬儀や偲ぶ会を仕切っていました。

 

~~~10年前に、山田さんから鍵を預かったのが本当の出来事になっていました。~~~

(出会った時、この人(私)だったら任せられると、勘が働いたんでしょうね。)

 

その後は、山田大将の自宅を片付けるのと、お店をシェフに引き継ぐ準備がこれまた大変でした。

寿司屋寿司からフレンチイタリアンナイフとフォークに変更ですが、お店の構えは殆ど変えずに。

そんなこんなで、シェフとは付き合っているわけでも何でもないのですが、私が山田大将のお店の鍵を持っていたこともあり、

お互い出来ることはやりましょうと一緒に協力してお店をオープンするまでに

オープンしても山田さんのお客様は、シェフより私の方が知っているので間に入って引き継いだり紹介したり。

でも、コロナ禍になってしまい、それもうまく出来ない場面もあったり。

 

私は、事務仕事や運転手でシェフのお手伝いをしたり、お互い相談したりしています。

シェフは、私のオツマミを作ってくれています。

そんなこんなで今に至っております。

 

長々と失礼しましたお願い

今後ともよろしくお願いいたします桜