10月3日
同居していた義父が旅立ちました
朝、体調が悪いと訴えて
その日は透析の日の通院日で
透析が終わった後にお腹が痛いと苦しんでいたらしく
念のために入院し翌日に検査すると言うことでしたが
夜に容態が急変し病院に駆けつけた時には
既に息を引き取っていて間に合いませんでした
義父は鼻血が出たり脚が痛かったりすると
直ぐに病院に行くと言って騒ぐ人だったので
朝、体調が悪いと訴えても大したことはないだろうと思いつつ
なぜだか私は次女に、「そろそろ覚悟した方がいいかも」とLINEしていたのです
前日まで変わらず散歩もしていたので
まさか本当に逝ってしまうとは…
未だに信じられないのです
誰でもいつかは旅立つとわかっていても
長年一緒に暮らした人が突然居なくなると言うのは、とても寂しいものです
↑写真は義母の病気平癒祈願の御礼詣りで
四国八十八ヶ所詣りをした時の写真です
納棺式の日に
棺にはその時の衣装と義父の好きだった果物や和菓子、お酒やタバコなどと
テレビを観るのが趣味だったのでリモコンや
晩酌して気分が良くなるとハーモニカを吹いたり
歌を歌っていたので
ハーモニカとマイクを長女が紙粘土で作って入れてあげました
次女は看護師なので透析後のテープがそのままで痛々しくて可哀想だと言って
皮膚が剥がれないように慎重にテープを剥がしてあげていました
亡くなってから葬儀まで6日間あったので
毎日、お焼香にいらっしゃる方や葬儀屋さんとの打ち合わせなどでバタバタ忙しく
悲しんでいる時間もなく日は過ぎて行きましたが
葬儀の日、お花入れの最後に
葬儀屋さんが私の耳もとで囁いた
「実のお父様よりも長く一緒に暮らしたお義父様でしょうから最後にお嫁さんが花束を置いてあげてください」の一言で涙を耐えることが出来ませんでした
義父はお婿さんなので
他から来た身として同志の様なそんな気持ちもあったのか
嫁いだばかりは何かと気をつかってくれたり
私が体調を崩して家から出られなくなった時には
「俺でも病院に連れて行ってやれるんだよ」と
言ってくれたことなど…
思い出がつきません
季節ごとに花を見に行くのが大好きだった義父
今年は彼岸花を見に連れて行ってあげられなかったことと
最後に、ありがとうの言葉を伝えられなかったのが悔やまれます
お義父さん、34年間ありがとうございました
お読みいただき
ありがとうございました