家族という鎖
そう、多分両親は私と彼(弟)が産まれ、普通に成長し平凡で平和な家族像を描いていただろう……
子供達は、理想通り育ちやがて独立し……
結局、私達は幻想通りにいかない家族だった。
周りから見れば、愛されて育ったように見えるだろう……
いや、両親なりに愛してくれたのだろう……それが、私の求めたものと違っただけ……
今振り返ると、彼に手が掛かり、自然と私は甘え下手になっていたっけ………
今もまだ、彼が消えてくれればいいと思っている。
病気で一番辛いのは、彼だということを頭ではわかっているのだけれど……子供の頃からの想いが積み重なって感情では、出来るだけ関わりたくないと思っている。
私は両親に、理想の私では無く、ありのままのわたしを見て欲しかった認めて欲しかった………
ただそれだけだったのに、叶わなかった……
私も年をとった…
そろそろ、これらの想いを降ろしたい…
過去に何があろうと、今は確実に過ぎて行くのだから……
『切りたくて 切れない鎖 家族の縁』
― 字余り ― 終
家族という鎖
彼(弟)は、両親の居ない生活がかなりこたえたらしかった。
約2週間後、両親が戻った後は父に暴力を振るうことは無くなった。
ただ、盗聴器が仕掛けられている、誰かが見張っている、何も出来ないくせに、何をやってもうまくなんていかない等、幻覚、幻聴が酷くなり入院した。
半年程だっただろうか……とにかく退院して働きたいという希望が強く、まだ入院が必要だという病院側の判断を聞かず退院した。
その後も、幻聴、幻覚は軽くなったり、重くなったりしながら経過して…仕事は一カ所は長く続かないなりに、働いている……
そう、あれから約20年……
病名が、統合失調症に変わったことは最近知った。
両親は、いまでもいつかは治ると思っている……
私は、症状に波があり以前からみたら随分落ち着いているが、薬は一生飲まなければならないこと、治らない病気だとことあるごとに言っている……
そうか…というものの、認めたくないようだ。
一番酷い地獄は過ぎたかもしれない……
両親も年をとった……
地獄の日々は、これからも続いて行く……
家族という鎖
両親の避難は2週間程だった。
その間、彼(弟)の様子を見に行くのは、私の役目だった。
産まれて、6ヵ月の子供を連れ泊まりこんだ。
食事を作り、彼のペースで昼でも夜中でも、果てしない堂々巡りの話を聞き、予約日には精神科クリニックの受診に付き添った……
彼は、急に両親が居なくなったことが、こたえているようだった…
同居の祖父は、両親が避難してからたびたび寂しく辛いと言っていて彼が可哀想だと話してくれた。
精神科クリニックで、彼抜きで先生と話した。
暴力のこと、幻覚、幻聴のこと、今後の治療のこと……
私の期待する返答は貰えなかった……
家庭内で何が起きても、誰も助けてはくれないのだ……
結局は、他人ごとだし、病院で出来ることには限界がある…と改めて思った。
絶望した私は、子供を産んでなければ、迷い無く彼に手をかけていただろう。
自分の子は、やっぱり可愛い………矛盾してるとわかってる……でも、人殺しの子供には出来ないという想いだけが、私の彼への恨み や憎しみ将来への悲観からの凶行を止めてくれていた。
