今日すごい嬉しいことがあった。
それをねブログに書きたいなって思った。
そしたら突然ぶわ~っと
自分の抑圧が炙り出された。




嬉しかったことを
こんないいことあったんだよ~って、
できたことを
こんなのできたよ~すごい~?って
そしてそれを、
すごいね~よかったね~嬉しかったね~って
無邪気な子どもと
それを包み込む親のような体験を
私はすごくすごくしたかったんだと思う。




私の承認欲求の捻れ拗れは
小さい子どもの頃に
無邪気に素直に感情を出してこなかったこと
ただすごいねがんばったねって
軽やかに褒めてもらえなかったこと
そんな小さなことが発端なんだ。




大人になって
どうしても自分の喜びを発信しようとすると
その喜びのエネルギーよりも
すごい人だって見られたいって感情と
だから何?って見てもらえなかったら
私になんて関心を持ってもらえなかったら
っていう恐怖で
いつも捻れ拗れちゃうんだ。




ああ、小さな子どもが
ねぇねぇ聞いて~
ねぇねぇ見て見て~
ねぇすごい~でしょ~
ただ無邪気にはしゃぐように
私は今から感情を出していいんだ
それをしてきてなかったから
苦しかったんだ辛かったんだって思った。



誰かにとって価値があるかどうか
誰かがそれを見て評価するかどうか
じゃなくて
私が私の喜びや嬉しさや楽しさを
ただ出していいんだって思った。



誰かにどう見られるか
誰かの評価や批判が
私にはいつもヘドロのように張り付いて
嬉しくて伝えたいのに
大したことないって思われたら…
逆に大したことないって思われないように
すごい奴に見せないとって
そんなことばっかしてた。



私はただ嬉しくて
ただ見て聞いてほしくて
そして、ただそうなの~よかったね~って
そして時には子どもを褒めるように
軽やかに「すごいね~」って
そんなものがただただ欲しいだけだった。



だからね、41歳にして3歳児のような
感情の練習だよ。
これ嬉しい~
これ好き~
これできた~
これすごいでしょ~
ほめてほめて~目目

キラキラお目目でパチクリするように
ただ自分を出していくだけだ



今日あった嬉しいこと。


あのね、今日ね、
派遣先の職場の若い女の営業さんとね
お昼が一緒だったの。


少し前に彼女が落ち込んでた時に
その時もたまたまお昼が一緒になって
で話聞いてただけなのに
なんかセッションみたいになって
彼女号泣しちゃったのね。



でね、それから初めて
お昼一緒になったんだけど
あの時話してから
本当に気が楽になって
自分の強み活かすことだけ考えて営業したら
お客さんがどんどん自分を頼ってくれて
自分もどんどん力になってあげたいって
思えて、
今めっちゃいい感じになってます!!
って言ってもらったの~。



もうめっちゃ嬉しくてさ。
私もちゃんと自分の強みで
誰かの力になれてるし
私の強みってやっぱりすげぇじゃんって。
もうただただ嬉しくて、
ただただすごいでしょ~って感じ。




えっと、無条件の褒め褒めは
大歓迎ですラブ
3歳児にすごいね~できたね~みたいな
そんな感じでとりあえず(笑)