設定変更や引き寄せ、
量子力学など

いろんな学びを経て

自分なりに色々やってみたつもりだったけど

でも変われなくて…




「コツコツやってればいつかは」
と、思ってたけど

とうとう、とうとう

本当に思ってることに
向き合った。




疲れた。
もういい。
色んな引き寄せや学んだことに
縛られて動くのはもう嫌だ。




色々やってみて
ちょっぴり効果が出たり出なかったりで
一喜一憂して
でもちょっと停滞すると不安になって
また学びの繰り返し。




結局不安なままだったんじゃん。


学んで、変わってきてると思おうとしてたけど
やっぱり意味なかったんだろうか?








このまま変われなかったら?

その恐怖と向き合うことになった。






怖い怖い怖い怖い
不安不安不安不安


↑これを感じたくなくて、
ちょっとうまくいかないことがあると
学びに逃げ込んでたんだ。







正面からそれを感じていったら


少しずつ、少しずつそれは減っていった。





逃げてれば、
そのうち消えていくと思っていた

これまで押さえ込んできた感情たちは


私に感じてもらうのを
ずーっと待っていた。





自分の一部を
ずっと無視していたんだと知った。






その頃からやっと
「自分の感覚」というものに
従おうと思うようになった。



疲れたなら学ばなくて良い。

やりたかったらやればいい。





「世間の声」から
「引き寄せや設定変更などの知識」に
なっただけだ。
結局自分の声を聞いてないことに
変わりがなかった。






不安や損得から
学ぶこと、学んだことを止めることが
できなくなっていたけれど



疲れて続けられなくなった。



思えばそこから
変化が始まった。






自分の好みの世界を生きたいなら

自分の感覚が分からないままでは
話が始まらない。





自分の感覚で動いてみて、
検証していく。



思ったようにいかないこともあれば
直感で動いて良かった、ということもある。

↑でもそんなもんじゃない?





いちいちとらわれず、
自分はどうしたいのか
その都度聞いていく。







「ミステリと言う勿れ」とサンリオのまさかのコラボ…(ダイソー)












気がつくと
自分だけの道ができてる。





今までできなかったことが
できるようになっていたり


ピンチだと思っていたことを
乗り越えていたり


気になってたことが
気にならなくなっていたり。

 

誰かを頼れるようになったり。




それを
「こんなもん」って
自分でしない限り。





自分のままで大丈夫なんだ
なにがあっても大丈夫なんだ


っていう自信になっていく。