あれから8年…
あの日は前日の夜中遊びに行き朝方、何人かを東大宮へ送るため朝反対向きではありましたがこの道を走ってました。
今朝は雨でしたがあの日は晴れてました。
16号をまたぐオーバーパスから見た朝の雲がなんとも言えない特徴的な雲をしていたのを覚えてます。
帰って来て昼間寝てましたが大きな揺れで目を覚ましました。
一応すぐ逃げられるように外に面した窓を開けしばらく様子を見てましたが微妙な余震がずっと続いてました。
まぁこれなら大丈夫だろうと窓を閉めどうせ駄目な時は何をやっても死ぬし生き残る奴は何をやられても生き残ると思いまた寝てしまいました。
テレビをつけて寝ていたのですが頭の先にの方がで聞こえてくる凄惨な言葉が夢なのか、なんなのかわからない状態でなんだか凄いことになってると感じながらあまりにも凄いのでやはり夢の中の出来事と思っていたのですが眠りの浅い時にテレビの声でやはり夢ではなくテレビで状況を伝えてる声なのだと認識し目を覚まししっかりとテレビを見ると津波に流されていく建物、車、人の姿が映されてました。
あの日公共交通機関はストップ、バス、タクシーがたまに来て乗れても道は大渋滞で目的地までどれくらいかかるかわからない、歩いて何時間もかけて帰る人もいれば家の人が迎えに行く、帰りを諦める人など大混乱でした。
今は亡きNさんから電話が来て、東北に行くことになったと言うのでヤバイから水、食料を今こっちから持っていった方がいいんじゃないですか?と話しましたがそこまでじゃないだろうと言って電話を切りましたがその後を考えたら車に詰めるだけ積んでいった方が良かった感じでした。
翌日からはガソリンがなくてどこかのスタンドがガス給油出来るとなるとそこには長蛇の列ができました。
天邪鬼な俺は普通にガソリンが入れられるようになるまで車に乗らないと決め通勤の時駅まで歩いて25分、買い物も歩いて25分とにかく歩いてました。
あれからNさんは何度も東北に行き復興の為に働きこっちに戻って来る時は現地の人の話を聞き必要なものをいろんな人いろんなメーカーと交渉し現地に持って行ってました。
本当に現地は目を背けたくなるくらい凄いんだよと言ってました。
だけどドコモのオジさんのおかげで連絡が取れなかった家族と連絡が取れましたありがとうございますと子供に言われた時には泣きそうになったとたも話してくれました。
今は見た目にはだいぶ普通になったかも知れませんが我が国の首相は世界に詭弁を使いオリンピックを開き、原発を売り、憲法を改正しようてしています。
何が正しいのかわからない世の中ですがとにかく今を生きていることを大切にしたいと思います。
さて本日も17時半時出庫の翌朝11時帰庫で仕事します。