20180311

あれからもう7年経ったのか…

東日本大震災・・・。


犠牲になられました方々とご遺族の皆様に対し

ご冥福を心よりお祈り申し上げます。


今日は3.11.


2011.3.11東日本大震災が起こる前の日はカラオケに行っていた、朝方みんなを家に送り帰って来て寝た。


地震の揺れで目を覚ました、テレビをつけて外に出れるように窓を開けてしばらくいたがなかなか揺れが収まらない。

しばらく待ってもおさまらないのでとりあえず駄目な時は駄目だし助かるなら助かると思い窓を閉めてもう一度床についた。


普段からテレビをつけたまま寝てることが多く寝ていても頭の中でテレビの中と夢の中がリンクすることも多いが津波が凄くて叫んでる声とか都心での混乱とか夢の中で凄いことになってる。


夕方目を覚ましテレビをキチンと確認すると凄いことになっている。

夢だと思っていた惨状は現実だった。


夕方、買い物に出たのだがスーパーで大学生の男の子が家に帰る道をスーパーのおばちゃんに聞いてた。

ここのスーパーは最寄り駅に行くのも歩いたら40分はかかるどうしたのか聞くととりあえずここまで歩いて来たがこの先に行く道を聞いていたのだという。

こんな時だし最寄り駅で良ければ乗せていくと言うとお願いしますと大学生。


就活でその日は面接だったというが当然中止にふじみ野から歩いて東坂戸団地まで来たと聞いてびっくりで鶴ヶ島の駅に連れて行ってあげようかと思ったが駅に行っても電車はきっと止まってる。


最終的に家はどこなのと聞くと?大学生「北坂戸ですと」なんだよ先言えよじゃあ北坂戸まで行ってやるよと北坂戸まで送ってあげた。

俺なら東坂戸団地から北坂戸も歩くのは嫌だけどこの日は後でニュースを見たら歩けないとか言ってられる日ではなかった。


その後Nさんから電話がありどういう状況か聞かれるこの電話の後とりあえず岩手に行くと言っていた、多分水とか食料持って行った方がいいと思いますと言うと流石にそれは大丈夫だろうと言っていたがこの後のことを考えたらこの時点ではまだ食料、水などはあったからこっちから持って行った方が良かったのだがそんなことこの時点ではわからないから仕方ない。


その後もNさんは東北、特に岩手方面を担当して一年以上作業をしていたがたまに電話があったりして話を聞くと涙が溢れるような話ばかりだった。

子供が俺んとこ来て言うんだドコモのおじさんのおかげで連絡の取れなかったばあちゃんと連絡が取れましたありがとうございましたって…。


Nさんは東京に戻って来るたび地元の人に今何が必要か駄目かも知れないが東京戻ったら聞いてみるからと色んな衣料メーカーや靴メーカーと交渉して無償提供してもらえるようにしていた。


あれから7年、東北の復興はまだまだ道半ば、原発はどこが管理下にあるのか分からん状況ですが一歩一歩進んでますよ。


何か災害があるたんびに現場に行っていたNさんも昨年永眠されました。


思い出したり映像を見ると今でも涙が止まらないですがそれでも一歩一歩進んでます。


今でも地震やらなんやら災害があるとNさんを思い出しもう行かないでもいいんですよこれからは好きなことらだけしていてくださいと思います。


さて本日は17時半出庫の翌日11時帰庫になります。