昭和20年8月14日の夜の出来事、丁度こ の地方は一ヶ月遅れのお盆の最中。そして悔しいのは次の日が終戦であった。もう一日早く終戦に成っていたならばこんな大惨事はまぬがれていた。
当時、熊谷が大空襲に見舞われるなんて誰も思っていなかった。
お盆の疲れでぐっすり寝入っていた夜、突然空襲警報のサイレンが鳴り響いた、通常は警戒警報の後で少しの時間が経過してから空襲警報が鳴るしかしこの日、静かな町は突然アメリカのB-29爆撃機の無差別爆撃の爆弾の雨に見舞われてしまった。
爆弾と焼夷弾が雨の様に降り一度に町が火の海と化した、、逃げる所は無い、皆火傷と熱風で星川に飛び込んだが星川も水が熱湯と化してしま って数百人が亡くなった。
そして次の日は終戦と成り、天皇陛下の無条件降伏の放送が流れた、どうして熊谷市が最後の空襲にならなければ成らなかったのか無念さと怒りが毎年この空襲の日記を書くたびにこみ上げてくる。
馬鹿な日本の政治家の体質なのか?対応、対策が後手後手になるのは今も日本は全く変わってない 。