教育って、本来は生徒の個別性に向き合う営みなので、商業主義とは本来的になじまないものです。
効率的、画一的...というビジネスの論理は教育の場になじまないはずなのです。しかし現実はその逆です。

〇〇をした方が良い!その解決のためにはこれだ!、ということ(マッチポンプ?)がここ10年くらい大量に現場に入り込みました。

さらには、能力を可視化し、効率よく回すための各種検定試験。当然その対策もセットです(二度おいしい)。その延長上に、いわゆる有名上級校への進学実績争い。

かくして、学校はすっかり余裕がなくなりました。本来なら時間を持て余すくらいでちょうど良いのに、これをやらねばあれをやらねばと追い立てられます。すべて将来に必要なこと?として。
今この時間を楽しむ余裕がすっかりなくなりました。

すべてビジネス的な経済合理性のたまものです。常にタスクを与え続け、その解決(乏しい多様性ですが、合理的なやり方。手間を最小限に最大の利益を求める)に邁進させる。その方向性においては実に正しい。

しかし本来惰性の強い学校現場とは決定的に相性が悪い。だから現場が混乱する。先生が足らない、不登校も減らない。現場からのメッセージを無視した結果の行き過ぎた振り子です。

学校というのは本来温室であるべきです。子供達は緩やかな時間の流れの中で試行錯誤しながら、将来を見つけていく場なのです。惰性が悪いわけではなく、むしろ必要です。

ビジネスの理屈は一見正しそうに見えるのです。だから無自覚にまかり通る。本来は教育行政が適当に突っぱねれば良いのにその真逆。

しかし急激な少子化で、その理想も早晩崩れざるを得ません。混乱は避けられないでしょう。

じゃあ、おまえはなんなのだ? ハイ、その問いに悩み続けました。サードプレイスはその答えの一つです。激流の中のホッと出来る場所。もちろん勉強が第一ですが、それ以外の役目も持たせたい。私は母が2年前に亡くなり、親戚や兄弟もいません。父は30年前に。独り身ゆえの気軽さなので、自由に発想が出来ます。

今のやり方がすべて間違っているとは思いません。しかし変化の激しい時代と言う割には、示せてる価値が狭すぎるののです。だからこそ、私は私なりに信頼してくれる生徒達の未来を考えたい。余計なお世話かもしれないが、改めてそう思うのです。


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自宅では、なかなか集中して勉強できない生徒のために、
頑張れる環境を提供していきます。
みんなが集中しているので、やり抜けると思います。

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更新は、午後8時頃の予定です