今頃何を寝惚けたことを言ってるのだろう?
2011.3.21の放射性プルームの襲来などフクイチ発生時時から動かされている
SPEEDIの拡散予測されておりSPEEDI情報をリアルタイムで入手している
在日米軍は、早々に関東近郊の基地から避難させていたからな。
その証拠に横須賀の原子力空母ジョージ・ワシントンは、定期メンテナンスを
中止してメンテナンス用足場を付けたまま3/21昼過ぎに緊急出港して
放射能汚染を回避している。
当時は、このような避難に必要な情報が隠蔽され国民に知らされることは無く
そのまま関東一円の居住者は、被曝させられた。
政府は、国民を見殺しにするのが規定路線だな。
一部の富裕層や特権層が危険情報を先行入手していたな
3/14,3/15辺りに新幹線で高級ベビーカーが大挙して関西に脱出していた。
このあたりの状況は庶民に知られると困るのだろう一切マスコミで
報道されることは無かった。
この国で生き残るには、在日米軍の居住家族の動向を見ているのが良いのだろうな。
福島原発事故:1週間後にも放射性雲 東北、関東へ拡散東京電力福島第1原発事故後、上空に巻き上げられた放射性物質の雲状の塊「放射性プルーム(放射性雲)」が、これまで知られていた2011年3月15~16日に加え、約1週間後の20~21日にも、東北・関東地方に拡散していく状況が、原子力規制庁と環境省による大気汚染監視装置のデータ分析から裏付けられた。1回目の放射性雲の影響で高くなった空間線量に隠れて、2回目の放射性雲が見逃されていた地域もあった。専門家は「データは住民の初期被ばく量を正確に見積もるのに役立つ」とみている。
放射性雲の拡散はこれまで、「緊急時迅速放射能影響予測システム」(SPEEDI)を使ったコンピューター計算に各地の空間線量や航空機による観測データを突き合わせて推定してきた。
今回、環境省が各都道府県に設置している自動車の排ガスなどを常時監視する装置に着目。東京大大気海洋研究所や首都大学東京などに依頼し、大気中に浮遊するちりを1時間ごとに捕まえたろ紙を9都県約90カ所の測定局から回収して、3月12~23日分の放射性物質濃度を調べた。
その結果、福島市の一つの測定局では15日夜、放射性セシウム137と134の濃度が1立方メートルあたり最大計45.5ベクレルを計測した。16~19日も、原発から放射性雲が出続けていた考えられるが、西風で太平洋側に運ばれたため、大気中濃度は上がらなかったらしい。その後、風向きが変わり、20日午後3時に同計104.1ベクレルに高まり、その状況は21日朝まで続いた。
雨が降った15日は放射性物質が地表や家屋に沈着し、空間線量が1時間あたり20マイクロシーベルト程度まで急上昇したため、放射性雲が飛来したことが広く知られているが、雨が降らなかった20~21日は、既に高くなっていた空間線量計の値が目立って上昇しなかったため、放射性雲が見過ごされてきたと考えられる。
関東地方では、15日と21日の2回、帯状に高濃度の放射性雲の拡散が確かめられた。特に21日朝は茨城県南部や千葉県北東部で放射性セシウム濃度が急上昇。その後、東京湾北東沿岸部へと南西に移動した。その間、雨で沈着し、各地で「ホットスポット」と呼ばれる局地的に線量の高い場所を作ったとみられる。
福島原発事故の環境汚染に詳しい森口祐一・東京大教授(環境システム学)は「事故直後に大気中のセシウム濃度がいつ、どこに拡散したかを示す貴重なデータが発掘された。このデータは住民の初期被ばく線量の正確な把握に役立つ」と指摘している。【酒造唯、阿部周一】
◇放射性プルーム(放射性雲)
気体状、またはちりなどに付着した粒子状の放射性物質が雲のような塊になって大気中を流れる現象。高濃度のプルームを吸い込むと内部被ばくする。上空を通過した場合でも降雨や降雪で家屋や地面などに沈着すれば外部被ばくの原因になる。
http://mainichi.jp/select/news/20140905k0000e040237000c.html
原子力空母 ジョージ・ワシントン 放射能回避で横須賀基地を緊急出港(11年3月21日) 2011/03/23 にアップロード
2011年3月21日(月)は春分の日の祭日。雨の中、13時12分、原子力空母ジョージ・ワシントンが米海軍横須賀基地を出港した。
3月11日に、東北地方を襲った大地震・津波災害と福島原発による放射能汚染は、海外に大きな衝撃を与えた。
本国の家族などの心配をうけて、米国政府も、軍属に限っては希望者は帰国することを認めた。
ジョージ・ワシントンは、今年1月から、長期間の定期改修(メンテナンス)工事に入っていたが、それを切り上げての緊急出港となった。
おそらく、600人規模で横須賀に来ていた、原子力関係の技術者・作業員が、少なからず帰国することになり、工事の維持が困難になったためで、本国に帰って継続することになると思われる(その後については、文末に3月28日の情報を追加情報を参照)。
なお、緊急出港は19日(土)に発表され、工事途中での出港に対する安全性についての日本側の懸念については「推進機関を含め、安全性はについてはしっかり確保されている」とのことだった。
発表当初の出港予定は、発表翌日の20日(日)12時30分であったが、当日になって、21日(月)8時10分に延期され、それも朝になってキャンセルされた。
このあと、正午前に、「12時30分出港」が、外務省から横須賀市に通知され、結局、実際に出たのは13時すぎであった。
出港理由、行き先などは一切公表されていない。
中央公園からの展望で、浦賀水道に入航する際に15分ほどとまったのが確認できた。南下する大型貨物船をやりすごしているように見えた。急な出港時間変更のため、調整が必要だったのではないかと思われる。
その後は、とまることなく、猿島の向こうを進み15時20分過ぎに、走水沖を観音崎方面に消えていった。
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20110328追記
当初は本国へ帰ってメンテ工事を継続すると思われたGWだが、米海軍第七艦隊のホームページ記事によると、横須賀から
姿を消したピュージェットの作業員450人は空母に乗り込んでいることが判った。また空母は日本近海にいると思わる。記事には明記されていないがおそらく洋上でメンテを続けているのではないかと思われる。
記事は2回掲載。内容は、空母での機関士への技術伝授や艦内居住環境・設備の向上に活躍などがアピールされている。
以下は出典。
1回目は3月23日で、
http://www.c7f.navy.mil/news/2011/03-...
2回目は3月28日、
http://www.c7f.navy.mil/news/2011/03-...
。
備考:原文にあるフィリピン・シー、というのは広範囲の海域をさす。
フィリピン近海でなく、おそらく日本周辺にいると思われる。
