共通テスト追・再試験 その10 [2023年度 第5問  問1~問4] | クマのアフタークラス

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問題及び解答は、令和5年度 追・再試験の問題 | 独立行政法人 大学入試センター (dnc.ac.jp)

令和5年度 追・再試験の正解 | 独立行政法人 大学入試センター (dnc.ac.jp)

 

 

(前回から約2ヶ月ぶりの更新です。(;^ω^) 申し訳ないです。(・.・;) 

問1:「1867年のパリ万国博覧会について…」とありますが、実は、問われているのは、Xは「富嶽三十六景を書いたのは誰ですか?」、Yは「駐日フランス公使として幕府の軍制改革を支援した人は誰ですか?」という限りなく「一問一答式」の問題です。Xの葛飾北斎、Yのロッシュは必ず答えましょう。

 

問2:古いものから年代順に並べ替える問題。今回は「船舶、海運」と、嫌なところを突いてきましたね。Ⅰ~Ⅲは何れも明治時代なので、10年刻みくらいの狭い範囲で並べ替える必要があります。また、内閣制度はまだ確立していない時期が含まれているので、「○○内閣の時だぁ~」という作戦は使えません。以下は私の解答方法です。

 Ⅰは、「台湾出兵」、「岩崎弥太郎(郵便汽船三菱会社設立者です)」のワードから1870年代となります。台湾出兵(1871)の年号を知らなくても、木戸孝允が出兵に反対して政府を離れたことを思い出し、「明治初期」ぐらいで押さえておきましょう。

 Ⅱは、「政府の海運奨励策」と「日本郵船会社」「ヨーロッパやアメリカへの定期航路の開設」という言葉から、かなり産業が発達してきた頃=日本の産業革命期かなと考えます。実際には日清戦争後に、政府が「造船奨励法・航海奨励法を公布(1896)」などを出して海運業を助成し、日本郵船会社(岩崎の三菱と、共同運輸会社の合併)が綿花輸送でインドへのポンペイ航路、さらにヨーロッパ、アメリカ、オーストラリアと航路を拡大していくのです。

 Ⅲは「開拓使官有物払い下げ事件(1881)」です。これを機に政府は「明治十四年の政変」で民権運動寄りの大隈重信を政府から追放し、内閣制度創設(1885)、憲法制定(1889)、国会開設(1890)に向けて動き出し、自由民権運動側も政党結成に動くなど新たな展開を迎えます。解答はⅠ→Ⅲ→Ⅱとなります。

 

問3と問4は、史料の読み取りと、教科書レベルの知識を問われる出題です。

問3: 図2の「旅券」(当時の外務大臣は青木周蔵)の文章内容は難しくありません。ハワイへ行くのに「通路故障なく(=支障なく)旅行」して「必要の保護扶助」を「与へられん事」を「その筋(=関係)の諸官」に「希望」しているので、Xは正しい。Yは、大日本帝国憲法下での国務大臣の役割「(主権者である)天皇の政治を助け、(天皇に対し)責任を負う[第55条]」を知っているかどうかを聞いています。Yも正しい文章です。

 

問4:「史料1」は下関条約で日本に割譲された台湾の人々に対し、「割与(=割譲)された地方の外」つまり、「台湾総督府の支配地域外に住居(=居住)しようと希望する者は所有している不動産を売却して退去することができる」とし、その(判断の)ために2年間の猶予を与えています。条文を見る限り、不動産を売却するかどうか、退去するかどうかは台湾住民側に選択権があります。「史料2」では、2年間で退去しなかった台湾住民は日本帝国臣民とみなすとあり、「日本国籍」となったことがわかります。

 なお、下関条約調印後、台湾では(当然ながら)日本支配への抵抗運動がみられますが、日本は軍事力で抑え込みます。台湾総督は樺山資紀<かばやますけのり>(第2議会で蛮勇演説を行い混乱させた、あのカバちゃん)でした。台湾住民に徴兵制度が施行されたのは、第2次世界大戦末期の1944年のことです。総力戦の悲劇です。彼らは「日本国民」として戦場に駆り出されたのです。