斎藤哲也編「哲学史入門Ⅲ」
最近の哲学者でフッサールからデリダまでです。
このシリーズもこの第3巻で終わりです。
専門用語というか哲学者が使った言葉が続くと、哲学素人の僕にはやり意味不明になってきます。
しかし、終章の國分功一郎さんの「修行の場としての哲学史」は良かったです。これだけでも、この本を読む価値はありました。
カントの言葉を使って、哲学するとはどういうことかが書かれています。
國分さんの説明を受けて斎藤さんは「哲学は理念であり原型だから、それを学習することはできないということですね」と述べています。
國分さんは「哲学史という修行の場で行われる鍛錬の一つは、哲学者が使う概念を自分でうまく扱えるようになるということだと思います」と述べられていることに納得した僕です