宮城谷昌光「風は山河より 第三巻」
文芸に溺れる者は、人を忘れる。人がみえなくなったとき、とりかえしのつかぬ大失態を演ずるにちがいない。
この言葉はきました。本をたくさん読んでいるからと言って、生きた人間に対する理解が深まっているとは言えないという出来事を思い出しました。自分に対する戒めでもあります。
弘法大師におことばに、鍾谷、何ぞ黙さん、というものがあります。
(略)
鐘は、人に打たれなければ、音を発せず、人の声がとどかなければ、こだますこともない。それぞれむなしさを抱いて黙しているのでし。でも、弘法大師は、それらを、何ぞ黙さん、ととらえた。鐘は僧門にある人しか打てず、幽谷は未踏の地にはいった人しか答えないはずなのに・・・・、ちがいますか。
この・・・・に隠された言葉、重いですよね。
物語は、竹千代が生まれ、今川に人質に出されたはずなのに、尾張に奪われてしまうところで終わります。